必然

振り返ると、数奇な出会だった。


不思議な時間だった。



僕はきっと、一人の女性の大切な時間を奪ったのだと思う。

僕には、定期的に会う一人の女性がいた。
恋人というにはあまりにも歪だったし、友人というにはあまりにも距離が深すぎた。


きっと友人よりも本音を見せたし
きっと家族よりも距離が近かった。



彼女と出会ったのは僕が16の頃だった。彼女は26だった。
高校に行っていない僕は、彼女の不思議な魅力に取り憑かれたのだと思う。


彼女がいるのは関東で、僕がいるのは関西だった。

ずっと遠距離だった。


会うのは年に1,2回。1年以上あわない年もあった。
数ヶ月音信不通なときもあった。

それが僕らの距離感だった。



残酷な表現だと、僕は別れ方を知らなかったのだと思う。
彼女のことは幸せにしたいし、幸せになれば良いという思いは持っていた。
自分が幸せにしなくても誰かが幸せにするのなら、それで良いと思っていた。


彼女はいい年だった。いい年にしては幼かった。


彼女がどんな我儘を言っていても、僕はさして気に留めなかった。
彼女はすぐキレる人だった。
でもそういう人だと思っていたから、別にそれで良かった。




僕は社会人になって3年が経った。
出世もしてしまった。仕事の仕方も、覚えてしまった。
仕事のやりがいも楽しみも、覚えてしまった。
収入も低いけど、安定してしまった。


だから僕に、結婚しない理由が無くなってしまった。
彼女は病んでいて馬鹿だった。


昔々、出会って間もない頃に、お互い30歳と40歳でまだ独身だったら結婚しようか、なんて話をしたことがあった。


それからは、1回も結婚しようなんて話すらしなかった。
むしろ相手に対し、自分の彼女だといったことすら無かった。


彼女だと言ってしまえば、きっと彼女はずっと僕のもとにいて婚期を逃し続けるのだなぁなんて。
だからこんなにも待ってくれた人を幸せにしようと、初めて思ったのだった。
とても人としてズルいことをし続けた罪悪感なのかもしれない。


だけれども、彼女を幸せにしなければという義務感があった。罪悪感だったのかもしれない。
そしてそれでいて、不器用さしかない彼女への同情心や。
もしかすると、ずっと自分のもとに居続けた彼女へ報いたいという気持ちなのかもしれない。
だから、結婚しようって伝えた。


その折々で、彼女を心から"愛"していたのか、ということはずっとずっと自問自答していた。

そもそものところで、僕は人を愛するという感情がよくわかっていなかったのかもしれない。
恋とかを、きっと僕のような、地味でおとなしく生きている人間は
10代の後半から20代前半に知っていくのが、通常のパターンだと思う。
だけれども僕は、その時期を全て、そういったベクトルの感情を彼女に注いでいた。

愛しているのかわからないが、一緒にいてくれる異性という彼女に。
彼女が笑顔だと僕は嬉しいし、彼女が幸せな感情を抱いてくれるなら、何かをプレゼントしたいと想った。
だけれども、彼女が僕に近づきすぎると、彼女は僕から離れられなくなる。
彼女から寄せられる感情を、素直に受け止めることに抵抗感を持っていた。
そんな状況を、いっぺんに変えようとし過ぎたのだと思う。
結婚しようと動くことは、そんな歪な状況を、変えていくことなのだから。


結婚の話の最中、初めて彼女に対して、いろいろなことを伝えたのだと思う。
それはしょうもない話、他人に対する接し方や、態度や。
家族観の押し付けのようなものだと思う。


父親や母親に対して感謝をし、兄弟を大切にし、甥や姪を我が子のように思うわなければ"いけない"。
でも彼女の中では、彼女が一番だった。
父より母より兄弟より甥より姪より、彼女は彼女が一番でなければ気が済まない性格だった。

そして先方家族も、それをよしとした。
だから破綻した。




僕と彼女の二人だけなら、きっとあと20年でも30年でも続いたのだと思う。

あれからいろいろとあって、いろいろなことを考えた。

残念ながら今でも答えを出せずにいるのだ。

もっと早くに振っていれば良かったのか
もっと早くに結婚の話を進めていれば良かったのか
彼女の言い分を全て飲んで結婚していれば良かったのか。

何が正解なのかがわからないでいる。


大学生の頃は、別に振る理由もなかった。
社会人1年目で結婚する気にはならなかった。
結婚しようと思えた年が、今だった。




彼女は本当に異常な行動ばかりとっていた。
吐き捨てる言葉も、他人の人権など顧みない残酷な言葉が多かった。
別れた後の行動も、人として許されない行動をたくさんとっていた。
約束も誓いも無意味と化すような、今までの全てが水泡に帰すようなことばかりしていた。



それでも僕は、彼女の苦しみに、残念ながら同情してしまう。
この同情はしてはならない同情で、同時に最低な感情なのだ。


誰に何を言われようとも、結婚の話を進める最中の自身の行動に誤りがあるとは思えない。
彼女の行動は破談にされて当然というにも余りあるような行動ばかりだった。
別れた後の行動も、社会的に許されないものが多かった。



どうしたら彼女は幸せになれるのか。
今も、それを考えている。

彼女が辛い顔が見たいかというと、僕は見たくない。
そもそももう、二度と見ることもないのだろう。


こんな感情を抱くことも、相手に対して失礼なのだ。


でもきっと、一生忘れることはないのだろう。
彼女が幸せになれることを、祈ってしまう。

条件

今が苦痛だ。


苦痛の要因は、人間関係3、地域7って感じか。

京都に帰りたい。


俺はあと3年、長けりゃ5,6年ほど新潟だ。


仮に新潟が開けても、京都に帰れる眼はゼロに近い。


母親の余命はわからないが、癌が再発したことを考えれば・・・
まあ、余命4,5年、20〜30%というところだろうか。



実家の家業は、継ぐ人間が今のところいない。
俺には、継ぐ能力はない。



俺は・・・・京都で働きたい。



そして、京都で働ける可能性は・・・?



そしてそれで、俺はこの仕事がそこまで好きではない。
でも、同期は大好きだ。

将来性は、無い。


運も、無い。



他人に起こる奇跡というか、うわぁ、あいついいなぁ〜っていうのは
こと俺に関しては、起こらない。



きっと裕福な家に産まれた。
きっと家族に恵まれた。
きっと産まれた場所にも恵まれた。


大学にもいけたし、就職も出来た。

だから俺の運は、きっと終わった。




俺はたぶん、京都に帰る。


どういう形になるかはわからん。
みすぼらしい結果に終わるのかもしれん。
はたまた、奇跡が起きて輝かしく戻るのかも知らん。

案外何ということもなくある日突然戻るのかも。



でも何が起きても、俺にとっては、京都が、家族が一番大事なんだろう。

腫瘍

姉の旦那さんのお父さんにガンが見つかったようだ。



肺から脳へ転移したようだ。
詳しいことはそこまで聞いていないが、かなり悪いんじゃないだろうか。


ガンとは転移性を持つ。
肺から転移したってことは、リンパとか循環機関に乗ったってことなんだよな。
ってことは全身への転移もかなり可能性が高いんだろう。



俺からすれば結構遠縁になってしまうのだが
姉からすれば義理の父親だ。


なんというか、姉の立場に経つとやりきれないな。
2年前にばあちゃん、1年前に母親、今年は義理の父親がガンで命を脅かされているのか。

子どももダメだったりして、何かこう、雪崩式でバンバン飛んできて平静を保っていられるんだろうか。




わからん、わからんのだけど、たぶん1年もたないんじゃないだろうか。
まだ若い。



旦那さんの親父さんは、会社の社長さんで。
韓国から単身乗り込んできて日本で事業を興して、ハーレー載ったりとかしてる
ワイルド系の親父さんだ。

俺はほとんど会話したことはないが、結構やり手な人のようだ。

姉の旦那さんはいずれこの会社を継承することになるのだろうけど(本人は嫌がってるけど)
こんな時に亡くなられたら、なんていうか、何がどうなっていくんだろうか。




肺から脳か。


うちの母ちゃんの場合は、肺ガンがリンパに転移しているかいないのかの境界だった。
転移していればアウトだし(それこそあと1,2年でまた発症して死んでもおかしくない)
していなければ、いわばなんていうのか、何もなかったような状態になる。
今後10年20年生きることも可能だしっていう感じだろうか。



だからこそ俺は、この今をどう捉えればいいのかよくわかっていないから
だからこう、焦るし、だから動き方がわからなかったりするし。




でも、脳に転移しているっていうのは・・・
それはもう、完全に全身に回っているような状態だろうか。
ステージ4、絶望といってもおかしくないような。



余命は2年と言われているらしいが、どうにもこうにもな。



変な話しさ、ガンって超現実主義的展開でさ。
余命も宣告されて全身に転移してても結構長生きしてる人とかいるじゃん。
そういう人ってやっぱレアケースでさ。
そういう人の話が伝説のように語り継がれて、それにすがってみたくはなるんだけど
その何倍も、当たり前のように余命通り、余命宣告よりも早くにガンに殺されているはずなんだよね。





母ちゃんの場合で言ったらさ、5年生存率30%っていうのはさ
いっちゃえばあれだよ。同じ症状の人が10人いれば、7人は再発して5年以内に死んじゃってさ。
運のいい1人か2人は、そのまま発症せずに生きているって感じなんだよね。



親父さんの場合はさ、もうたぶん、希望の余地が無いんだよな。
だって転移しちまってんだもん。


世知辛い。




ただ聞けば、結構前から記憶が飛んでたり視界がぐらついたりしていても医者へ行ってなかったらしい。
あの親父さんの性格的にはさ、もしかしたらわかっていたのかもしれないなぁなんて親父は言っていた。



50年以上生きてきたおっさんにしか見えない世界があるのかもなぁ。




でもやっぱり思っちゃうわけ。
韓国から単身で日本にぶっ込みかけて事業興してさ。
そこでやり抜いていくなんて生半可な覚悟じゃ出来ないわけじゃん。

じゃあそんな覚悟をした果てに何を望んでいたのよって思うのよね。

たぶんそれはさ、何かこう、のんびりした老後だったりするんじゃないの?って思ったりするわけ。


俺がそうだもの。のんびり孫とかに囲まれて平凡にだらだらした老後とかが来たらなぁって思うわけさ。

早死するなら別だよ?でもがんばってがんばってがんばってさ、50代とかまできて
もう後少し、もう後目前ってところでこういう展開ってさ。


やっぱり聞くだけでやるせなくなるなるんだよな。
本人は何を思ってるのかは知らんよ。
でも俺なら、俺の人生なんだったのかなぁとか思っちゃうはずなんだよね。


親父さんはそんなこと思わないくらい強い人なんだろうけどさ。




こう毎年毎年こんなことが続くとさ、俺もたまに思っちゃうんだよね。
何か俺、40くらいで死んじゃうんじゃね?とか。



命とは重いものだ。
これ以上俺の周りで命を奪うのは辞めてほしいな。
特に近しい人のはさ。

異動

形式上、自分が今後どういう仕事をしたいのか、どういうところで勤務したいか、なんていう書類を書いていた。


まあ、形式上だよ。組織にいる以上は、こんなもの参考程度にしかならない。

だから書いてやったんだ。地元に返してくれって。
母親の体調がこうこうこうでさぁ〜なんて。


でもまぁ、ダメだった。

何だろ。まだ提出する前段階で止められたっていうの?


いくつかの複雑なルールによって、俺は京都へは帰れない。
そういう縛りがある。



だからその縛りがいかなるものなのかを確認するために、書いてやった。
素直に思ったように記入すること、と書いてあったので、素直に書いてやった。


でもまあ、一応上司の目を通すと、1年目でこの希望は喧嘩を売っているようにしか見られない、とのことだった。
まあそりゃあそうだろう。俺も半分喧嘩を売って書いているんだから。




ただなんだ。その上司も、ダメって意味合いで言ってるんじゃなくってさ。
ただただ、これをそのまま上に持って行っても、俺がイイ目を見ないから、って意味で制止してくれたんだよなぁ。



実際やむを得ない特段の事情があればさ、検討されないこともないわけ。
俺の関西帰還って。


例えば結婚だとかさ、親の介護だとかさ、実家の家業だとかさ。
いやってほど言われるんだよね。
母親の体のことを話してもさ、じゃあ介護が必要なのか、とか
仮に介護が必要だったとして、他の兄弟は?とか。


いやさ、そうなんだよ。
仮にうちの母親が歩けない、一人じゃ生きられない、ってなるじゃん。
誰かの手が必要です、ってなるわけ。

じゃあさ、その手が俺の手である必要はあるの?ってことになるわけ。

そこをみんな指摘してくるわけ。当然だよな。まあ当然だよ。
別に俺の手である必要はねーよ。



じゃあさ、俺の手である必要はねーからさ
俺は関西に帰る必要は無くなっちまうわけだよな。





え、無くなっちまうのか?って思うんだよね。
5年生存率30%の壁をどう捉えろって話なのよ。


だらだらさ、ここで4年なり5年なり過ごしてさ。
元気かなぁ、大丈夫かなぁなんて思ってさ。
それで病気が再発してさ、でも病院に通うこともできなくってさ。
それでなんかこうさ、うわぁとか思ってるうちに全部終わりとかさ。





言われたわけなんだ。
今の俺の関西へ帰りたいという思いに対しての、今現在の母親の状況は、その理由付け、その動機としては、社会人としてはやっぱり特段の事情とは認められないって。



社会人としてって一体なんなのさ。
社会人って何なんだ。その、なんだ、社会人らしくって言葉に異様に反応してしまった。
人間らしくあってはいけないのか。



もちろん契約を取り交わしたのは俺だ。
今の場所での内定を選んだのは、選択したのは俺だ。
でもさ、誰が予想できたんだよ。あの時あの瞬間、数カ月後にこうなるって誰が予想した。


世界の誰も予想出来なかった。
俺も想定していなかった。あの日あの時こんなことになるなんて思っていなかったんだよ。
内定通知書が届いたその日に、母親の肺ガンが発覚するなんて、誰が思えたんだよ。
こんなありえない世界を、誰が先読み出来た、誰が考えられたんだ。

それに対して俺はどう対応すれば良かったんだ。



今の置かれているこの状況は、この世界だけは、もう何も反省点が思い浮かばないわけよ。
俺はたぶん、何度世界を繰り返してもこの展開から逃れることは出来なかったはずなんだ。
俺が努力したって、たぶんこの結末は変わらん。



あの日あの時、内定を蹴れば良かったんだろうか。
ばあちゃんが死んだ日も、ガンがわかった日も、なんであの日だったんだろうかと、この1年、思わなかった日は無かった。
京都に帰りたいと、思わなかった日は無かった。



京都にいられない今は、俺の責任だ。俺の実力不足だ。仕方がない。受け入れるしか無い。

でも今のこの状況そのものは、自分の非が一つたりとも見つからないんだ。
それが何よりも悔しくて、本当に苦しい。




そして、どれだけあるのかわからない余命を、1年を消費してしまった。
俺は1年間、社会人をやり遂げたのだ。


1年前、家を出たのだ。
そして1年、経ったんだ。





1年間、考え続けた。
1回、試しに自分の胸の奥底を見せてみたが、やっぱり意味がない。ダメだった。
周囲に世界を変えてもらおうなんて思うもんじゃないな。


だから強引にでも変えるしか無いんだろう。



変え方が・・・わかんねーんだよなぁ・・・

不可

最近働いている。当たり前だが毎日働いている。


気のせいか、体が少し軽い。
雪が降る前、11月頃が一番怖かった。

雪がどんなものかわからなかった。
どれだけ降るのかわからなかった。どれだけ寒いのかわからなかった。


でももう良い。
何メートル降ろうが氷点下何度になろうが、死ぬことはない。


ここでの生活は理解に苦しむ。
それでも別に死ぬもんじゃないとわかった(当たり前だが)。


だからもう良い。ここより底は無い。


太陽が見れない生活にも慣れた。
毎日毎日吹雪なのも慣れた。凍えながら寝るのにも慣れた。





最近上司との飲みを交わし続けている。
めんどうだし、付き合い悪いヤツとか思われてるんだろうかなぁ。
でもめんどうなんだ。



最近いろいろと思うのは、何だろう。
人付き合い=楽しいという絶対の考えを持っている人が、案外と多いということだ。

職場でのボーリングの企画やスキーの企画を
「たのしそー」などという感じで参加している人が結構多い。


話すまでもなく俺には理解出来ないものだが
それでいて、なんというのだろう。基準が違うっていうだけで
俺が楽しいと思う友達同士の飲み会も、行きたくないと思う人間だっているんだろう。


ただただ理解出来ないことは案外と多い。



うちの長男は、自分から上司が仕事が終わるのを待って飲みに誘ったりなんてしていた人間らしい。
俺からすると本当に理解出来ない。


最近とても長男のことをよく考えている。
どういう気分で生きているんだろうなぁと。



四人兄弟の、長男と、そして末っ子の俺。

四人の中では、たぶん俺と長男二人が、単純な学歴や社会的ステータスだけでいえば
真ん中二人とは頭ひとつ違う場所にいるんだと思う。


それはなんというか、本当にくだらない、四年生大学を出て、ちゃんとした企業に務めているというだけの話なのだが。

さらにいうなら、純粋な学力とか、社会的地位で言ってしまえば、やっぱりたぶん、長男より少し俺のほうが上なのだろう。



ただ得ている世界だけでいえば、そこのところはまた違うというか。
長男も俺も転勤族で。
真ん中二人は京都に残って、親の近くで生きている。



努力した二人が親元を離れて、収入こそ少し多いのかもしれないのだが
出費も多く孤独な生活をしているのだ。


この現実に冷静に見た時、少し生き方を間違えたのかもしれないとどこか思ってしまう。






例えば地元の、大学を辞めてフリーターをしつつ
最近そこに正社員として雇用されて
収入も大して俺と変わらず、実家ぐらしで車を買って、毎日彼女と楽しそうに生きているヤツを見ると
なんというか、やっぱり何か、俺は間違えたのかもしれないとか思ってしまうわけで。




そりゃいつかは変わるのだろう。
昇進やボーナス、結婚後の育児の仕方、老後。
いろんなところで差が出てくるのだろう(俺のほうがたぶん良い目は出来るんだろう)
という漠然とした期待感だけはある。



ただその一方、もしかそこでも何も得られなかった時
俺はどんな顔をしたらいいのだろうと思ってしまうのだ。


人間としてとても卑しい感情なのだろうと思う。

ただでも、それでも、いったいこれで、怠惰に生きた結果でも大して得るものが変わらない
ヘタをすれば、努力しなくて良い分得をしたりした世界を直視した時
本当にどんな顔をしたらいいのかわからないのだ。


馬鹿をみると言うのだろうか。
勉強が全てじゃない。就職が全てじゃない。年収が全てじゃない。
そんなことは今更論じるまでもないことなのだが
悲しきかなそういった定説に身をゆだねるしか無かった弱かった自分の感情は一体どこにやればいいのだろうか。



8年前、一度自分のすべてがゼロになってから
一応のこと努力をして、それなりのものを掴むために
それなりの労力と時間と気苦労をもってして生きてきたつもりなのだが。


僕はそれが無駄だったと考えることがとても怖い。
ありしも、そこに別解があると考えるのも、とてつもなく恐ろしい。



よく大人たちは、生きいそぐなとかそういうことを言うのだが
俺はもう24だ。気づけばきっと30になっているのだろう。

取り返しの付かない世界が本当に怖い。






長男は、今は鹿児島にいるのだが、とある長男を気に入った上司に引っ張られて鹿児島に行ったんだよなぁ。
ぜひあいつを俺と同じ支社に呼んでくれ、って。




大阪で、子どもが生まれて、実家の近くに住めてさぁ。
それでいて母親がガンになってあれやこれやなんて言ってる時に
急にあと数日で鹿児島に来いなんて命令でさぁ。

嫁は数ヶ月子どもと二人大阪に残されて、子どもも嫁も情緒不安定になるし。


よくそんな命令受けて笑顔で「俺もう鹿児島好きになったよ!鹿児島の人は良い人が多い!」とか言えちゃうよねーって思う。


俺なら、その上司を半殺しにしてやるくらいの殺意を覚えてしまうだろう。
あるいは、絶対にそんな転勤命令断るだろう。


だって状況が状況だろ。何でそんな時に会社の利益を優先しなければならないんだ。
子どもも小さくて、引越しだってそんなすぐに出来るわけじゃない。
自分の母親がガンになって、あと何年生きるかわからないって時に
何でもっと遠くに転勤しなきゃいけないんだ?って思わないのだろうか。
それも鹿児島だ。いくら飛行機に乗れば近いっつったって。



おかしいって思わないのだろうか。


仮に母親のことが無くたって、普通はせっかく嫁と子どもと実家と、上手くバランスが取れて
楽しく生きてる後輩を自分のもとに呼ぼうなんて思えるだろうか。
どう考えても酷い命令だって思ってしまうんだよな。



でもうちの職場も、息子が大学受験で大変な時期の中、単身で新潟に来ている人もいるわけで。

それが社会の普通だっていうのだろうか。
なら俺は、社会になんて身を置かなくて良いって思ってしまうんだよな。
普通に個人事業主とかやるのが一番幸せなんじゃねって思っちゃうもん。




でさ、今の俺がそんな事業興せるのかって、ありえないよね〜ってなっちゃうわけ。




そしてそれでいて、改めて思うもの。
自分一人が生きていける程度の収入を稼ぐなんて楽勝だったよ。

一人暮らしも簡単だよ。働くのだって別に大したことじゃないじゃんって思う。
社会人たちが偉そうに言っていた、働くのは大変だって真っ赤な嘘だった。
やり方さえうまくやってやれば別に全然大したことない。



これで仮に今俺が実家暮らしだったとしたらもう何もかも楽勝過ぎて笑えてくるところだったわ。
毎日毎日うんざりするくらいの雪と、どうしようもない寒さ、全く太陽の見えない空と。
大した収入もなく、気を許せる人間一人回りにいない。


そんな世界でも、別に生きていけている。
働くことそのものなんて楽勝だよ。糞しんどいしガチで辞めたいけど
働くことそのものは別に大したことねーじゃんかよ。



だからこそ、どこか生き方を間違えたかもなぁと深く思ってしまう。
中途半端に努力してしまったからこんなことになっているんだろうか。
でも努力していなければ、今頃無職だったかもしれない。
毎日毎日遅くまで働いているのかもしれない。
仕事が辛すぎてやめているのかもしれない。



でももしかもっと別の努力をしていれば、もっともっと明るく生きていたのかもしれない。
本当にわからない。

帰郷

人生で初めて、お正月を帰省する立場で過ごした。


果たして幸せなのだろうか。


4,5,6日と有給とった。
12連休だ。


こんなことをしている社会人は珍しいだろう。
こんなことが出来る職場は珍しいだろう。


ボーナスも出るし。


ただ、自分にはこれが当然だと思える。
10代20代って、そんなに軽いものじゃないじゃないか。


子どもを育てる親は、子どもが良い教育を受けられるように働き、貯金し、投資する。
それでも思い通りにはならない。
俺のように、親の金をドブに捨てるようなことを平然とする人間だっているのだ。


それでも、心を入れ替えて生きてみた。
大学にいって、就職戦線を経て。



対してその間、毎日遊んでいた人間もいるだろう。

普通の人間が得られる幸せの多くを捨てたはずで。
俺は小さい人間だから、そうやって幸せを切り捨てないと努力が出来ないタイプなのもまた虚しいのだが。


例えば器用に恋愛しながら、サークルをしながら、遊びながら受験も就職も大勝利なんて人間もいる。
でもそんな風には出来ないものだから。


とてもはがゆい時間も過ごした。とても虚しい時間も過ごした。
だからたどり着いた場所だった。



だから自分が正規雇用であることやボーナスが出ること、有給が使えることが贅沢であるとは思わない。
反対に、田舎暮らしを余儀なくされているし、休日も雪でどこにもいけないし
毎日曇り空でめったに太陽なんて見れないし。


家族でつらい思いだってたくさんしてきたんだ。



恵まれていようがなんだろうが、俺は今が苦しいわけだ。
じゃあ恵まれているからって、その苦しみに目を瞑れだなんて、そんなおかしな話はないんじゃないのか。

俺はこれからも堂々とその苦しみを取り除くために努力をするつもりだ。
苦しみを、恵まれているからって否定するのは、その努力を否定するのと同じではないのだろうか。



と、素朴に今自分は考えている。



今の自分が置かれている状況は自分が勝ち取ったものであって
過ごすことを余儀なくされているものでもあると考えている。




母親のガンから1年が経過した。
5年生存率30%の壁を適用するのならば、1年という時間が針を進めたということだ。
これをどう受け取るのかは難しい。


定期的に検診を受けて、今のところ他のガンは見つかっていない模様だ(つまりは転移していない可能性が高いということ)。


これは素直に喜ぶべきことだ。
ならば次だ。この検診の確実性、そこに疑いの目を受けるべきではないのだろうかと思う。
ネガティブな性格だからというのは大きい。
だが、それに対し、今元気だからこれからも平気だという考え方にどうしたって疑問をもってしまう。



医療は完全ではない。むしろ完全なガンのスキャニングが可能ならばガンの予防はもっと進んでいる。
今の先進医療でも見落としはある。そもそも発見できないものだって必ずあるのだ。
生存率という数値は大きい。


現在の医療で、発見→その都度手術、でOKなんていうのならば、30%なんて数字はでない。
それをやってなお30%なのだ。


つまりは、想定して動けということだ。



一生京都に帰れない場所で過ごすなんてゴメンだ。
この不安を解消する手があって、努力で届きそうな場所にあるのなら。
それならやるしか無いだろうと思うのだがな。




凄まじい勢いで心が荒んでいくのを感じるのだが。


やはりどれだけたってもブレはしない。

夢は京都で働くこと。
結婚すること。親に子どもを見せること。
京都に家を買うこと。


このために今毎日を生きようと思う。
叶うまで楽しみなんていらない。恋愛もしなくていい。
新潟で耐え忍んで生きてやる。

思出

1年前、体育の日だったか。

家族みんなで地域の運動会に出た。

地域のイベントに出たがりの父が役員をやっていて。

その頃は大阪に住んでいた兄夫婦、甥っ子ちゃん。
姉と、その旦那。
次男。

僕は午前中は家族に内緒で筆記試験を受けていて。
午後から参加して。

うちの町内はうちの一族だけで参加していた。

もちろん結果はボロボロ。
運動なんて無縁の我が家が戦えるわけもなくw



内定も出ていて。
家族の全てが美しく見えた。
ベンチにおいてあった、ばあちゃんの写真とともに
たぶんその会場のどこの家族よりも、うちの家族は輝いていただろうと思う。

その後も父親はとても周囲の人から羨ましがられたそうな。
こんなことしてる仲良し家族なんてそうそうあるわけでもない。

しかも別にうちもそれまでずっと仲良しだったわけでもない。
ばあちゃんの死をどうしたらいいのか。

みんながみんな探り探りでいるなか、たまたま生まれた奇跡のような一日だったんだろう。




それから長男夫婦は九州へ転勤になり
母親はガンになり
俺は京都を離れ
兄は女を妊娠させ家を追い出され
姉は子どもを流した。




たった1年だ。
たった1年で、全てが変わった。


別に今も仲が悪いわけでもない。
電話もする。普通に親は元気だ。


でもあの頃とは、何もかもが違う。



毎年毎年参加したいとは言わんさ。
やってりゃ誰かが参加出来ないし、いつまでも続くわけもない。
仮に家族の形が変わらずとも、今年参加していたかもわからないんだから。
でも、間違いなくあの日が、うちの家族が尋常じゃないほどに
高いところに登っていたことは間違いない一日であったことは、強く思っている。





でも1年でここまで世界が代わってしまうというのは悲しいものだ。
この三連休、実家に帰りたかったのだが。
くだらない組合の付き合いでそれは叶わなかった。
それは俺が社会に出てしまったからだ。


世界は移り変わっていく。
望むべきもないあらぬ方向へ行くし、そしてそれは努力ではどうにもならないレベルで代わってしまう。


俺が一番悔しいのは、努力してもどうにもならない壁を見てしまったからだろうと思う。
努力してもどうにもならなかった。
あの時こうしていればよかった、ではない。
全方位からの純粋な詰みの場面に出くわしてしまったことが何よりも悔しいんだと思う。

だってどうにもならなかった。抗ったけど駄目だったんだ。
全力で抗ってもどうにもならなかった。





もう一度でいいから、また家族で地域の運動会に出たいなァと思う。
親が生きている間に、兄弟全員が子どもを連れて
あの日を上回る日を迎えたいものだ。


今はただ、耐えるしか無いのかもしれない。