不可

最近働いている。当たり前だが毎日働いている。


気のせいか、体が少し軽い。
雪が降る前、11月頃が一番怖かった。

雪がどんなものかわからなかった。
どれだけ降るのかわからなかった。どれだけ寒いのかわからなかった。


でももう良い。
何メートル降ろうが氷点下何度になろうが、死ぬことはない。


ここでの生活は理解に苦しむ。
それでも別に死ぬもんじゃないとわかった(当たり前だが)。


だからもう良い。ここより底は無い。


太陽が見れない生活にも慣れた。
毎日毎日吹雪なのも慣れた。凍えながら寝るのにも慣れた。





最近上司との飲みを交わし続けている。
めんどうだし、付き合い悪いヤツとか思われてるんだろうかなぁ。
でもめんどうなんだ。



最近いろいろと思うのは、何だろう。
人付き合い=楽しいという絶対の考えを持っている人が、案外と多いということだ。

職場でのボーリングの企画やスキーの企画を
「たのしそー」などという感じで参加している人が結構多い。


話すまでもなく俺には理解出来ないものだが
それでいて、なんというのだろう。基準が違うっていうだけで
俺が楽しいと思う友達同士の飲み会も、行きたくないと思う人間だっているんだろう。


ただただ理解出来ないことは案外と多い。



うちの長男は、自分から上司が仕事が終わるのを待って飲みに誘ったりなんてしていた人間らしい。
俺からすると本当に理解出来ない。


最近とても長男のことをよく考えている。
どういう気分で生きているんだろうなぁと。



四人兄弟の、長男と、そして末っ子の俺。

四人の中では、たぶん俺と長男二人が、単純な学歴や社会的ステータスだけでいえば
真ん中二人とは頭ひとつ違う場所にいるんだと思う。


それはなんというか、本当にくだらない、四年生大学を出て、ちゃんとした企業に務めているというだけの話なのだが。

さらにいうなら、純粋な学力とか、社会的地位で言ってしまえば、やっぱりたぶん、長男より少し俺のほうが上なのだろう。



ただ得ている世界だけでいえば、そこのところはまた違うというか。
長男も俺も転勤族で。
真ん中二人は京都に残って、親の近くで生きている。



努力した二人が親元を離れて、収入こそ少し多いのかもしれないのだが
出費も多く孤独な生活をしているのだ。


この現実に冷静に見た時、少し生き方を間違えたのかもしれないとどこか思ってしまう。






例えば地元の、大学を辞めてフリーターをしつつ
最近そこに正社員として雇用されて
収入も大して俺と変わらず、実家ぐらしで車を買って、毎日彼女と楽しそうに生きているヤツを見ると
なんというか、やっぱり何か、俺は間違えたのかもしれないとか思ってしまうわけで。




そりゃいつかは変わるのだろう。
昇進やボーナス、結婚後の育児の仕方、老後。
いろんなところで差が出てくるのだろう(俺のほうがたぶん良い目は出来るんだろう)
という漠然とした期待感だけはある。



ただその一方、もしかそこでも何も得られなかった時
俺はどんな顔をしたらいいのだろうと思ってしまうのだ。


人間としてとても卑しい感情なのだろうと思う。

ただでも、それでも、いったいこれで、怠惰に生きた結果でも大して得るものが変わらない
ヘタをすれば、努力しなくて良い分得をしたりした世界を直視した時
本当にどんな顔をしたらいいのかわからないのだ。


馬鹿をみると言うのだろうか。
勉強が全てじゃない。就職が全てじゃない。年収が全てじゃない。
そんなことは今更論じるまでもないことなのだが
悲しきかなそういった定説に身をゆだねるしか無かった弱かった自分の感情は一体どこにやればいいのだろうか。



8年前、一度自分のすべてがゼロになってから
一応のこと努力をして、それなりのものを掴むために
それなりの労力と時間と気苦労をもってして生きてきたつもりなのだが。


僕はそれが無駄だったと考えることがとても怖い。
ありしも、そこに別解があると考えるのも、とてつもなく恐ろしい。



よく大人たちは、生きいそぐなとかそういうことを言うのだが
俺はもう24だ。気づけばきっと30になっているのだろう。

取り返しの付かない世界が本当に怖い。






長男は、今は鹿児島にいるのだが、とある長男を気に入った上司に引っ張られて鹿児島に行ったんだよなぁ。
ぜひあいつを俺と同じ支社に呼んでくれ、って。




大阪で、子どもが生まれて、実家の近くに住めてさぁ。
それでいて母親がガンになってあれやこれやなんて言ってる時に
急にあと数日で鹿児島に来いなんて命令でさぁ。

嫁は数ヶ月子どもと二人大阪に残されて、子どもも嫁も情緒不安定になるし。


よくそんな命令受けて笑顔で「俺もう鹿児島好きになったよ!鹿児島の人は良い人が多い!」とか言えちゃうよねーって思う。


俺なら、その上司を半殺しにしてやるくらいの殺意を覚えてしまうだろう。
あるいは、絶対にそんな転勤命令断るだろう。


だって状況が状況だろ。何でそんな時に会社の利益を優先しなければならないんだ。
子どもも小さくて、引越しだってそんなすぐに出来るわけじゃない。
自分の母親がガンになって、あと何年生きるかわからないって時に
何でもっと遠くに転勤しなきゃいけないんだ?って思わないのだろうか。
それも鹿児島だ。いくら飛行機に乗れば近いっつったって。



おかしいって思わないのだろうか。


仮に母親のことが無くたって、普通はせっかく嫁と子どもと実家と、上手くバランスが取れて
楽しく生きてる後輩を自分のもとに呼ぼうなんて思えるだろうか。
どう考えても酷い命令だって思ってしまうんだよな。



でもうちの職場も、息子が大学受験で大変な時期の中、単身で新潟に来ている人もいるわけで。

それが社会の普通だっていうのだろうか。
なら俺は、社会になんて身を置かなくて良いって思ってしまうんだよな。
普通に個人事業主とかやるのが一番幸せなんじゃねって思っちゃうもん。




でさ、今の俺がそんな事業興せるのかって、ありえないよね〜ってなっちゃうわけ。




そしてそれでいて、改めて思うもの。
自分一人が生きていける程度の収入を稼ぐなんて楽勝だったよ。

一人暮らしも簡単だよ。働くのだって別に大したことじゃないじゃんって思う。
社会人たちが偉そうに言っていた、働くのは大変だって真っ赤な嘘だった。
やり方さえうまくやってやれば別に全然大したことない。



これで仮に今俺が実家暮らしだったとしたらもう何もかも楽勝過ぎて笑えてくるところだったわ。
毎日毎日うんざりするくらいの雪と、どうしようもない寒さ、全く太陽の見えない空と。
大した収入もなく、気を許せる人間一人回りにいない。


そんな世界でも、別に生きていけている。
働くことそのものなんて楽勝だよ。糞しんどいしガチで辞めたいけど
働くことそのものは別に大したことねーじゃんかよ。



だからこそ、どこか生き方を間違えたかもなぁと深く思ってしまう。
中途半端に努力してしまったからこんなことになっているんだろうか。
でも努力していなければ、今頃無職だったかもしれない。
毎日毎日遅くまで働いているのかもしれない。
仕事が辛すぎてやめているのかもしれない。



でももしかもっと別の努力をしていれば、もっともっと明るく生きていたのかもしれない。
本当にわからない。