思出

1年前、体育の日だったか。

家族みんなで地域の運動会に出た。

地域のイベントに出たがりの父が役員をやっていて。

その頃は大阪に住んでいた兄夫婦、甥っ子ちゃん。
姉と、その旦那。
次男。

僕は午前中は家族に内緒で筆記試験を受けていて。
午後から参加して。

うちの町内はうちの一族だけで参加していた。

もちろん結果はボロボロ。
運動なんて無縁の我が家が戦えるわけもなくw



内定も出ていて。
家族の全てが美しく見えた。
ベンチにおいてあった、ばあちゃんの写真とともに
たぶんその会場のどこの家族よりも、うちの家族は輝いていただろうと思う。

その後も父親はとても周囲の人から羨ましがられたそうな。
こんなことしてる仲良し家族なんてそうそうあるわけでもない。

しかも別にうちもそれまでずっと仲良しだったわけでもない。
ばあちゃんの死をどうしたらいいのか。

みんながみんな探り探りでいるなか、たまたま生まれた奇跡のような一日だったんだろう。




それから長男夫婦は九州へ転勤になり
母親はガンになり
俺は京都を離れ
兄は女を妊娠させ家を追い出され
姉は子どもを流した。




たった1年だ。
たった1年で、全てが変わった。


別に今も仲が悪いわけでもない。
電話もする。普通に親は元気だ。


でもあの頃とは、何もかもが違う。



毎年毎年参加したいとは言わんさ。
やってりゃ誰かが参加出来ないし、いつまでも続くわけもない。
仮に家族の形が変わらずとも、今年参加していたかもわからないんだから。
でも、間違いなくあの日が、うちの家族が尋常じゃないほどに
高いところに登っていたことは間違いない一日であったことは、強く思っている。





でも1年でここまで世界が代わってしまうというのは悲しいものだ。
この三連休、実家に帰りたかったのだが。
くだらない組合の付き合いでそれは叶わなかった。
それは俺が社会に出てしまったからだ。


世界は移り変わっていく。
望むべきもないあらぬ方向へ行くし、そしてそれは努力ではどうにもならないレベルで代わってしまう。


俺が一番悔しいのは、努力してもどうにもならない壁を見てしまったからだろうと思う。
努力してもどうにもならなかった。
あの時こうしていればよかった、ではない。
全方位からの純粋な詰みの場面に出くわしてしまったことが何よりも悔しいんだと思う。

だってどうにもならなかった。抗ったけど駄目だったんだ。
全力で抗ってもどうにもならなかった。





もう一度でいいから、また家族で地域の運動会に出たいなァと思う。
親が生きている間に、兄弟全員が子どもを連れて
あの日を上回る日を迎えたいものだ。


今はただ、耐えるしか無いのかもしれない。