3年前が最後の日記になっていた

俺は35歳になった。

 

3年前に願った思いも、叶ってしまった。

いろいろなことがあった。

 

2年前、娘が生まれた。

その半年後くらい、父親が死んだ。

去年は家を買った。

 

仕事もまた変えたが、相変わらず順調だ。

 

 

生きれば生きるほど、光のある世界に身を置けている気がする。

世間のあたりまえなのかもしれないが、腐った時間があった分、俺にはとても幸せに感じる。

 

親が死んで辛い、辛いが、それでも親が死んだとき、俺は今が幸せだと思えた。

将来に不安はあるが、それは漠然としたものであって、今をどう生きるかというようなものではなく、ちゃんと今後もなんとかやっていける自信を手にして、父を見送ることができた。

 

だから俺は、ちゃんと今まで生きてこれたんだなって思う。

 

 

今は日々生きることに必死だ。

毎日朝起きて、子どもを保育所に送り、8時過ぎに会社について、早く家に帰るために仕事をかたずけるというような日常が続いている。

 

 

35になった今改めて思うと・・・

 

高校って何だったんだろう、大学受験って何だったんだろう。

就職活動って何だったんだろう、結婚って何だったんだろうって思う。

 

節目節目で悩んできたし、躓いてきたし、10代の頃、多分俺は同世代よりも多く悩んで苦しんだんじゃないかなって思う。

だからこそ35になった今、俺はとても安定した地位にいるし、別に明日の生活に不安は無い。

これを自分がつかみ取ったものだと言ってしまえばそれまでだし、でも、たまに本当にそうなのかなって思ってしまうこともある。

 

いわゆる不幸の目のようなものって、俺は絶対にあると思っている。

 

父はずっと、「世の中は平等だ」と言っていた。

何故父がその考えに辿り着いたのか、俺には今でもわからない。

何故なら、俺は世の中は平等ではないと思っているからだ。

 

世の中を平等だと言ってしまうのは、いわれのない不幸に見舞われている人にとってあまりに辛い言葉なのではないのかなと思っている。

俺は働き始めて13年になるが、今までいわゆる外れ部署のようなものを引いたことがない。

どこの部署もいい人ばかりだったし、むかつくこともあったし不満もあったけど、それでも自分の部署より酷い部署にいた同期は大勢いたと思う。(パワハラ、長時間勤務等)

 

前職は本当にくそみたいな仕事だったなと思っていたけど、それは組織全体を見渡した時にそう思うだけで、自分がいた課や部署はそれなりにやりがいをもってやれていたし、そんなに残ることもなかったから。

 

だが人事異動なんて組織にいる以上選べるものではないし。

確かに、社会人になりたての頃、いきなり新潟に飛ばされたのは本当に辛かった。

でも、俺は今思うと、とても新潟が好きになれたし、あの頃を思うと泣けてくるほど、新潟に行けてよかったなって思えてる。

 

 

 

今の結婚もそうだ。

自分でいうのもあれだが、俺は別にイケメンではないが、超絶ブサメンでもない。

障害も無ければ、仕事もまあしているので、結婚したいと思った人に求婚して結婚できたというのはとても幸せだ。

 

でも、俺がもし超絶不細工だったりしたら、障害を持っていたりしたらどうか。

妻が結婚してくれたかどうかはともかく、結婚できたかどうかはまるっきりわからない。

 

 

子どももそうだ。

少し不妊の期間もあったが、結果的に健康な子二人を授かることができた。

 

全てどうにもならない部分を、神が何とかしてくれたからだろうって思う。

 

もともとをただせば、俺が高校を辞めた後再び大学に行くことができたのも、親にそれだけの経済力があったからで。

もう高校辞めるような奴に出す授業料は無いと言われてしまえば、俺は自分でバイトしてでも行くほどのバイタリティは持ち合わせていないわけだから、そのまま沈んでいたかもしれない。

 

 

結局世の中は本当に平等なのか?というと、本人の努力でどうにもならない部分がある以上、それはやはり、運=環境依存の部分も絶対にあるのではないかと思うわけ。

 

子どもが生まれる前、出生前診断とかするみたいな話をしたことがあった。

でも、俺はできなかった。

どんな子供でも育てようとって心から思ってたし、来てくれた命を大切にしたいなって思ってた。

 

でも、それは障害を持った子が生まれる未来が確定しても本当にそういえるかはわからないし、仮に障害を持った子が生まれて5年後にも同じ選択できるのかと言われたら何の根拠もない。

結果的に健康で生まれてきてくれたことを喜んでいるんだもの。

 

 

 

生きれば生きるほど、自分は昔のハングリーさを失っているのではないか?という疑念にも駆られている。

今が良ければそれでいい、自分が良ければそれでいい、自分の子供が幸せならそれでいい、そんな生き方、いわゆる、自分が昔嫌いだった大人に自分がなっているのでは?という疑問を、35の自分は持っている。

 

 

これをいつか読み返した時、また違う答えがあるのだろうか。

 

 

それでも思う。どうか、自分の子に不幸が無いように。

どうか、自分の家族が幸せになってほしいと思う。

 

2023