誰にも見られぬネットの片隅に

去年異動した部署は、自分には合わない場所だった。

 

労働時間も長いし、雰囲気も悪い。

正直合わなかった。ただ、結局今年も異動できず、同じ部署にいる。

 

2年もいると、少しは気も楽になるもので、嫌な意味で慣れてしまった。

 

 

最近、ふと思う。

 

・自分はいつまで、子育てと仕事の両立枠でいるのか。

・自分はいつまで、指示を仰ぐ側でいるのか。

 

どちらも大きいテーマのため、まず前者について考える。

僕は今、子ども二人を抱える共働きの家にいる。

朝、子どもを送って出勤しているため、遠方の出張は事前に妻との調整が必要になる。ただ、結局この事情を主張するかしないかで大きく働き方はかわる。

 

子どもがいる男性は大勢いるものの、いわゆるそれを考慮した働き方をしている男性が世にどれだけいるのだろうかと思う。

 

そもそも、環境が整っていなければ、考慮以前の問題である。

収入が低い、労働環境が悪い、そんな場で、子どもが小さいので、といって通用する職場ばかりではないだろう。それは職場が悪いとは思うが、働いて収入を得ないと子育て以前の問題であることから、そういった意味で、僕は恵まれていると感じる。

 

最近、子どもが大きくなるにつれ、自分の年齢も重なり、働き方を少し意識するようになってきた。いつまで若手の雰囲気で働き続ければよいのか。

 

同年代が、徐々に役職に就き始めているのを見て、僕は「なぜ彼はそれを選ぶのか」としみじみ思う。

 

出世なんかより、早く家に帰って子どもと遊んだほうが楽しくない?と思うのだが。

 

何を優先するべきなのか、周りの選択も視野に入れながら、なかなかに悩んでいるところではある。

 

 

次に、一体いつまで支持を仰ぐ側でいるのか、ということも悩むところである。

僕は自分ではこうしたい、という考えを持って仕事をしている。

 

その仕事を、上に引っ掻き回されることがとてもストレスである。

 

 

考えていても、なかなかまとまらない。とりあえず2025年は、結論として「生きている」

再難

久しぶりに過去の自分の日記を読んでいた。

 

今まで、何度か異動をしてきた。

今年も人事異動で、激務部署に異動になった。

 

久々に、不安定な自分がいる。

自信が無い。やれるか不安になっている。

 

もともと俺は、「自分なんか」「できないだろうな」という卑屈な考えが前に立つ人間だ。

 

今までは、その卑屈さを武器に生きてきた節がある。

 

思えば働き始めて今年で14年。

最初の新潟は、本当に辛かった。

でも、やり抜くことができた。

母の病気は本当に辛かった。

 

宇都宮に異動して一年。

新幹線通勤だったが、結婚と別居を乗り越えた一年だった。

 

転職後に4年。

仕事は簡単だったが、あまりのレベルの低さに本当に苦しんだ。

 

再転職して今年で4年目。

 

今思うと、俺はずっと何かを言い訳にして、それを打ち砕いて生きてきた。

何でこんなところで働かなくちゃいけないんだろうか

何でこんなレベルの低いところで働かなくちゃいけないんだろうか。

 

 

でも今回働く場所は、意味が違う。

そんな言い訳が通用しない場所なのだ。

 

自分で希望したとはいえ、恐怖心が先に立つ。

うちの組織の仕事の最高峰の場所に抜擢されている今があるものの

自分の実力に見合っていない不安がある。

 

大丈夫だろうか。

でも同時に、今まで自分が乗り越えてきた世界の大きさが本当に大きい。

 

昔の方が、圧倒的にしんどかった。

だって今の部署がどんなに苦しくても、俺はもう嫌だと声をあげれば良いのだ。

そうすれば、家族と過ごせる時間がある。

 

そう、逃げることができるのだ。

あとは、逃げない自分とともにいるだけなのだ。

 

どんなに逃げたくても、新潟からは逃げられなかった。

どんなに願っても、妻と一緒に住むためには逃げられなかった。

どんなに悔しくても、親の死からは逃れられなかった。

 

それを思えば、しんどい部署、苦しい部署なんて、戦って無理なら、逃げれば良いのだ。

 

今までの13年間をぶつけて、無理ならそれで良いのだ。

ダメだったら、それで諦めたら良い。

 

もしこれを乗り越えられたら、俺はもっともっとスキルが上がると思う。

いよいよ最強に近い力を手にできると思っている。

 

そう思うと、孤軍奮闘、ひたすら戦い続けるしかない。

 

 

その裏で、一体自分は何が不安なのかを考える。

一つは、子どもだ。

 

子育てが楽しい。でも、働く時間が長ければ、子どもと過ごす時間も短くなる。

うちの子はあまりやりやすい子ではない。

いうことも聞かないし、夜寝るのも遅い。

妻の体が心配だ。

 

 

もう一つは、部署の空気だ。

仕事内容こそハイレベルであるものの、特殊過ぎて、空気感になじめない。

独特の体育会系の空気。古い風習。

休日のイベント、飲み会。

 

子育てを優先する今、この部署でどこまで戦えるのか。

 

 

今は気持ちが前を向いているが、やはり寝る前や朝起きたときは憂鬱に駆られてしまう・・・

 

どこまで行っても、36になっても、俺は結局弱いままだ。

気が弱い。うだつが上がらない。声が小さい。

 

 

でも、そんな俺も、ずっと地道に働いて残し続けた結果がある。

これからも、過去の自分の経験を武器に、戦っていきたいと思う。

3年前が最後の日記になっていた

俺は35歳になった。

 

3年前に願った思いも、叶ってしまった。

いろいろなことがあった。

 

2年前、娘が生まれた。

その半年後くらい、父親が死んだ。

去年は家を買った。

 

仕事もまた変えたが、相変わらず順調だ。

 

 

生きれば生きるほど、光のある世界に身を置けている気がする。

世間のあたりまえなのかもしれないが、腐った時間があった分、俺にはとても幸せに感じる。

 

親が死んで辛い、辛いが、それでも親が死んだとき、俺は今が幸せだと思えた。

将来に不安はあるが、それは漠然としたものであって、今をどう生きるかというようなものではなく、ちゃんと今後もなんとかやっていける自信を手にして、父を見送ることができた。

 

だから俺は、ちゃんと今まで生きてこれたんだなって思う。

 

 

今は日々生きることに必死だ。

毎日朝起きて、子どもを保育所に送り、8時過ぎに会社について、早く家に帰るために仕事をかたずけるというような日常が続いている。

 

 

35になった今改めて思うと・・・

 

高校って何だったんだろう、大学受験って何だったんだろう。

就職活動って何だったんだろう、結婚って何だったんだろうって思う。

 

節目節目で悩んできたし、躓いてきたし、10代の頃、多分俺は同世代よりも多く悩んで苦しんだんじゃないかなって思う。

だからこそ35になった今、俺はとても安定した地位にいるし、別に明日の生活に不安は無い。

これを自分がつかみ取ったものだと言ってしまえばそれまでだし、でも、たまに本当にそうなのかなって思ってしまうこともある。

 

いわゆる不幸の目のようなものって、俺は絶対にあると思っている。

 

父はずっと、「世の中は平等だ」と言っていた。

何故父がその考えに辿り着いたのか、俺には今でもわからない。

何故なら、俺は世の中は平等ではないと思っているからだ。

 

世の中を平等だと言ってしまうのは、いわれのない不幸に見舞われている人にとってあまりに辛い言葉なのではないのかなと思っている。

俺は働き始めて13年になるが、今までいわゆる外れ部署のようなものを引いたことがない。

どこの部署もいい人ばかりだったし、むかつくこともあったし不満もあったけど、それでも自分の部署より酷い部署にいた同期は大勢いたと思う。(パワハラ、長時間勤務等)

 

前職は本当にくそみたいな仕事だったなと思っていたけど、それは組織全体を見渡した時にそう思うだけで、自分がいた課や部署はそれなりにやりがいをもってやれていたし、そんなに残ることもなかったから。

 

だが人事異動なんて組織にいる以上選べるものではないし。

確かに、社会人になりたての頃、いきなり新潟に飛ばされたのは本当に辛かった。

でも、俺は今思うと、とても新潟が好きになれたし、あの頃を思うと泣けてくるほど、新潟に行けてよかったなって思えてる。

 

 

 

今の結婚もそうだ。

自分でいうのもあれだが、俺は別にイケメンではないが、超絶ブサメンでもない。

障害も無ければ、仕事もまあしているので、結婚したいと思った人に求婚して結婚できたというのはとても幸せだ。

 

でも、俺がもし超絶不細工だったりしたら、障害を持っていたりしたらどうか。

妻が結婚してくれたかどうかはともかく、結婚できたかどうかはまるっきりわからない。

 

 

子どももそうだ。

少し不妊の期間もあったが、結果的に健康な子二人を授かることができた。

 

全てどうにもならない部分を、神が何とかしてくれたからだろうって思う。

 

もともとをただせば、俺が高校を辞めた後再び大学に行くことができたのも、親にそれだけの経済力があったからで。

もう高校辞めるような奴に出す授業料は無いと言われてしまえば、俺は自分でバイトしてでも行くほどのバイタリティは持ち合わせていないわけだから、そのまま沈んでいたかもしれない。

 

 

結局世の中は本当に平等なのか?というと、本人の努力でどうにもならない部分がある以上、それはやはり、運=環境依存の部分も絶対にあるのではないかと思うわけ。

 

子どもが生まれる前、出生前診断とかするみたいな話をしたことがあった。

でも、俺はできなかった。

どんな子供でも育てようとって心から思ってたし、来てくれた命を大切にしたいなって思ってた。

 

でも、それは障害を持った子が生まれる未来が確定しても本当にそういえるかはわからないし、仮に障害を持った子が生まれて5年後にも同じ選択できるのかと言われたら何の根拠もない。

結果的に健康で生まれてきてくれたことを喜んでいるんだもの。

 

 

 

生きれば生きるほど、自分は昔のハングリーさを失っているのではないか?という疑念にも駆られている。

今が良ければそれでいい、自分が良ければそれでいい、自分の子供が幸せならそれでいい、そんな生き方、いわゆる、自分が昔嫌いだった大人に自分がなっているのでは?という疑問を、35の自分は持っている。

 

 

これをいつか読み返した時、また違う答えがあるのだろうか。

 

 

それでも思う。どうか、自分の子に不幸が無いように。

どうか、自分の家族が幸せになってほしいと思う。

 

2023

解散

僕が大ファンだったJanneDaArcが、4月1日に解散を発表した。

 

その騒動にが一旦落ち着いたので、思ったことを書きたいと思う。

これは僕個人が、JanneDaArcというバンドに出会えたということに心から感謝したいという願いと、この思いがバンドのメンバーの目に触れることがもしかしたらあるかもしれないという願いのもと記載するものである。

 

 

ボーリング場の有線でシルビアが流れていたのを聞いたのが、Janneとの最初の出会いだった。

 

当時、僕は声変わりがとても遅く、高い声を同級生にからかわれ、この高い声が本当にコンプレックスだった。

そんな中、yasuのとても高い声で歌うシルビアを聞いたとき、恥ずかし気もなく歌うその声に僕は一気に取り憑かれた。だがその当時は歌詞でぐぐったりする力はなかったため、JanneDaArcにたどり着くことはなかった。

 

その後、アニメのEDで、yasuの声を再び聞いたとき、ようやくあのときの声とJanneDaArcという名前が結びついた。

 

それ以来、毎日毎日Janneだけを聞き続けた。

 

人生で初めてCDを買った。

 

人生で初めて、LIVEのDVDを買った。

 

人生で初めて、LIVEというのに参加した。(Dearly)

 

人生で初めて、人に音楽を勧めた。

 

僕が不登校だった頃、JanneのCDだけが楽しみだった。

 

 

活動休止を受け、いつか活動再開するときを待っていた。

 

 

だが、長すぎた。

 

いつの頃からか、もう復活することはないのだろうと、心のどこかでわかっていた。

 

 

そして今回の騒動となり、解散が現実のものとなった。

とてもとても悲しかったが、不思議と受け入れることができた。

 

 

 

そして、奇しくも偶然に偶然が重なり、僕は今彼らの出身地と同じ市に住んでいる。

 

解散の理由はたしかに引っかかるものでもあるが、それより何より、僕はJanneDaArcというバンドに心から感謝している。

 

自分の人生に彩りが貰えたと思っている。yasuの歌に出会えて良かったと思う。Dearlyで生で見たとき、遠くに見えるyasuに感動して泣きそうになったのを覚えている。

 

どうか、yasuの体の調子が良くなることを心から祈っている。

 

素晴らしい音楽をありがとう、JanneDaArc

御影

子供が生まれて、人の親となった。


少し育児は落ち着き、リズムがつかめてきた。


とてもかわいい。僕にこんなにも幸せな世界が訪れるとは、思っていなかった。


だが、思う。

これは平凡な幸せである。
しかしながら、今のこの平凡な幸せは、15年前の、高校を辞めたあの日から始まった、本当の意味での僕の人生を、真面目に生き続けた結果だと。



この子をみていて思う。


僕は、この子に誇れる仕事がしたい。


今の職場の仕事は、人に誇れるものではない。


毎日毎日、前の職場へと再び採用されることばかり考えている。


この、あまりにも身勝手な願いは成就するのだろうか。


この願いが成就したとき、僕の人生は完成すると思う。




思い起こせば15年前のあの日から、僕は自分が手放したものを取り返すというのが一つのテーマだった。

大学受験で、僕は元いた世界を取り返した。


妻と結婚し、転職したことで、再び夢見ていた関西を取り返した。


次は、僕の天職といえる、仕事を取り返す戦いを始めようと思う。

選別

今日は、一つ大きなお別れをした。


お別れなんていうと、綺麗に言い過ぎかもしれない。

ずっと世話をしてきた亀と、お別れをしてきた。


物心ついた頃から、僕はペットに亀を飼っていた。


社会人になって、遠方で何度も引っ越すたびに、大変だったが連れて廻っていた。



今のマンションでも、ペット飼育禁止の中でコソコソ飼っていた。


子どもができて、今の環境で世話をしていくことに不安を覚えた。

何を言うものでもない。言い訳もクソもない。

僕は、責任を持って最期まで飼育するということが出来なかった。


20年近く育ててきて、これ以上育てていけないということで、静岡県にあるとある動物園に引き取りをお願いしてきた。



引き取りなんて、あっさりしたものだった。

客が入場券を買う横で、僕はこの生き物の所有権を放棄する旨の書類にサインし、ずっと育ててきた亀をあっさり手放したのだ。
書類に記入している間、客たちが僕を、侮蔑の視線を送っているように感じた。
きっとそんな視線はどこにもなくて、僕の心の中にある後ろめたい気持ちが、自分自身を見つめていたのだと思う。
引取を行う職員の、あまりにも事務的なやり取りに、冷や汗をかく。


子どもが出来た、衛生的に問題がある、そんな理由を並べ立てて、僕は飼育を放棄したのだ。


悔しくて、久しぶりに車内で泣いてしまった。


最期まで責任を持って飼ってやれなくて、申し訳ない。
園内では、こうした行き場のない亀たちが過ごす池があった。

所狭しとひしめいている亀たちがいて、うちのカメはこの中で生きていけるのかと不安になる。







今日別れた2匹の亀は
1匹はペットショップで買ったクサガメ
もう1匹はゲームセンターで取ったミドリガメだ。



クサガメとの出会いは20年ほど前になる。
たまたまいったペットショップで、小さいケージの中で中くらいの亀が3匹泳いでいた。
亀を飼おうと思ったものの、1匹を選ぶことが出来ず、3匹とも飼うと親にいい、買いに行ったら2匹が売れ、1匹売れ残っていた。
その売れ残った1匹を飼ってきた。


ミドリガメは、たまたま行ったゲームセンターで、亀キャッチャーなるゲームがあった。
ゲーム機の中にミドリガメ達が浮かんでいて、それを取るゲームだ。

当時の僕には、それがあまりにも不憫でかわいそうに見えて、全部助けてやろうとか思いながら
4千円ほど使ったと思う。たまたま取れた1匹が、そのミドリガメだ。



それから、僕はずっとこの亀たちと暮らしてきた。

亀は臭い。そして手がかかる。水を変えないといけない。

マンションじゃ変える場所もなく、トイレに水を流して、お風呂で水を入れていた。夏場は本当に臭い。




でも、ずっと一緒に生きてきた。
僕が転勤になるたびに一緒に引っ越していた。



それでも、手放そうと思ったのは何故なんだろうか。


子どものことを考えて、ということは事実だ。

もし万が一、サルモネラ菌とかが映ったら。

また本当に臭いため、奥さんのストレスにもなるだろう。

だが、致命的に飼うことが出来ない理由というものが、見当たらないのだ。




今回、飼うことを諦めたことには、僕の責任感のなさ以外、なにもない。


勝手をいうと、もし神様がいるのなら。
どうか、今日僕の手元から離れた亀たちが、余生を全うできるようにしてあげて欲しい。


人間の身勝手な都合で振り回される生き物に、何一つ罪はない。


どんな生き物にも、生きる場所が与えられるべきだ。
本当に、心から自分の弱さを反省するしかない。


生き物というのは軽々しく飼うべきではない。

深く、本当に深く反省する。

蝶々

もうすぐうちには男の子が産まれる。


数え切れぬ世界の中で、僕が今の妻と結婚して、そして子どもに恵まれる世界は

一体どれほどある人生の欠片の一つなのだろうと思う。


僕の人生は、よく何かを選ばされてきた人生だった。


きっとみんな、多かれ少なかれ、日々何かを選んで生きてきているのだろう。

僕はずっと、以下のような考えを持って生きている。
人生観のようなものだ。


というのは、一見無関係に見える選択も、結果何かの幸不幸をもたらしているのでは?ということだ。


例えば、僕が関東へ就職し、新潟への辞令を貰った。

結果いま僕は、妻と結婚できている。


僕の就職先が違っていれば、今の妻とは出会っていない。

今の妻と結婚していなければ、僕はまだ関東にいたのかもしれない。


30になってようやく気がついたことがある。

選択すること、決断することは何よりも大事だ。


決めなければいけないところでは、必ず決断していかないといけない。

同時に思うのは、仮に自分の選択の余地がないようなもので、納得の行かない不服なものであったとしても
強く、毅然と立ち向かっていけば、必ず世界は好転する。


そこで立ち向かうという選択をした結果が、必ず良い未来へと繋がっていく。

僕はそう思う。