帰郷
人生で初めて、お正月を帰省する立場で過ごした。
果たして幸せなのだろうか。
4,5,6日と有給とった。
12連休だ。
こんなことをしている社会人は珍しいだろう。
こんなことが出来る職場は珍しいだろう。
ボーナスも出るし。
ただ、自分にはこれが当然だと思える。
10代20代って、そんなに軽いものじゃないじゃないか。
子どもを育てる親は、子どもが良い教育を受けられるように働き、貯金し、投資する。
それでも思い通りにはならない。
俺のように、親の金をドブに捨てるようなことを平然とする人間だっているのだ。
それでも、心を入れ替えて生きてみた。
大学にいって、就職戦線を経て。
対してその間、毎日遊んでいた人間もいるだろう。
普通の人間が得られる幸せの多くを捨てたはずで。
俺は小さい人間だから、そうやって幸せを切り捨てないと努力が出来ないタイプなのもまた虚しいのだが。
例えば器用に恋愛しながら、サークルをしながら、遊びながら受験も就職も大勝利なんて人間もいる。
でもそんな風には出来ないものだから。
とてもはがゆい時間も過ごした。とても虚しい時間も過ごした。
だからたどり着いた場所だった。
だから自分が正規雇用であることやボーナスが出ること、有給が使えることが贅沢であるとは思わない。
反対に、田舎暮らしを余儀なくされているし、休日も雪でどこにもいけないし
毎日曇り空でめったに太陽なんて見れないし。
家族でつらい思いだってたくさんしてきたんだ。
恵まれていようがなんだろうが、俺は今が苦しいわけだ。
じゃあ恵まれているからって、その苦しみに目を瞑れだなんて、そんなおかしな話はないんじゃないのか。
俺はこれからも堂々とその苦しみを取り除くために努力をするつもりだ。
苦しみを、恵まれているからって否定するのは、その努力を否定するのと同じではないのだろうか。
と、素朴に今自分は考えている。
今の自分が置かれている状況は自分が勝ち取ったものであって
過ごすことを余儀なくされているものでもあると考えている。
母親のガンから1年が経過した。
5年生存率30%の壁を適用するのならば、1年という時間が針を進めたということだ。
これをどう受け取るのかは難しい。
定期的に検診を受けて、今のところ他のガンは見つかっていない模様だ(つまりは転移していない可能性が高いということ)。
これは素直に喜ぶべきことだ。
ならば次だ。この検診の確実性、そこに疑いの目を受けるべきではないのだろうかと思う。
ネガティブな性格だからというのは大きい。
だが、それに対し、今元気だからこれからも平気だという考え方にどうしたって疑問をもってしまう。
医療は完全ではない。むしろ完全なガンのスキャニングが可能ならばガンの予防はもっと進んでいる。
今の先進医療でも見落としはある。そもそも発見できないものだって必ずあるのだ。
生存率という数値は大きい。
現在の医療で、発見→その都度手術、でOKなんていうのならば、30%なんて数字はでない。
それをやってなお30%なのだ。
つまりは、想定して動けということだ。
一生京都に帰れない場所で過ごすなんてゴメンだ。
この不安を解消する手があって、努力で届きそうな場所にあるのなら。
それならやるしか無いだろうと思うのだがな。
凄まじい勢いで心が荒んでいくのを感じるのだが。
やはりどれだけたってもブレはしない。
夢は京都で働くこと。
結婚すること。親に子どもを見せること。
京都に家を買うこと。
このために今毎日を生きようと思う。
叶うまで楽しみなんていらない。恋愛もしなくていい。
新潟で耐え忍んで生きてやる。