泡沫
多くの人間が勝っていく。
努力して勝っていく人間を見て、彼と自分との差は一体なんなのかと考える。
いつか終わらせられるだろうか。
今でもふっとおばあちゃんのことを思い出すと涙が出てくる。
自分はたぶん死を乗り越えたんだと思う。
でもそれでも、悲しい気持ちは消えて行かない。
このまま親ともあと100日も会わずに人生を終わるんだろうか。
その時、世界は明るいんだろうかと思う。
その後ずっと暗いくらい人生を生きて行くのかと思うと、もう。
でも世の中の大半はみんな親の死を超えて生きているわけで。
落ち込んで、いつの日か、立ち直っていくんだろうか。
冷静に考えて世の中が平等なわけがないのだが
どうしてもその現実を認めたくないがために平等であると考えてしまいたくなる。
でも普通に天災や不慮の事故、病気で死ぬ善人は大勢いるわけで
それによって周囲は不幸を被るわけで。
そんな世界に平等なんてありえないのだが。
お子さんを亡くされた方のblogを読んでいた。
もう見てられないので途中でやめたが。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuku1920/folder/1188802.html
こういうのを見てると、世の中何なんだろうなーと思ってしまう。
代わり映えのしないことを書き続けているが
それくらいに今が、理解不能なんだ。
自分に一体何が起きているのか、何故こんなことになっているのか。
何もかもが理解が出来ていない。
人生ってこんなことが起きるんだって、素朴に想っている。
何もかもが、理解ができない。
これから先幸せになるビジョンも明確化しない。
やっぱり幸せになるためには
嫁さんを見つけて結婚して京都に家を買うしか無い。
子どもを育てて生きるしか無い。
でも、子どもを産んでも、その子供には、おじいちゃんおばあちゃんがいないかもしれない。
そんな途方も無い先を見てどうするんだって思うかもしれないのだが
それを思うだけでも辛い。
自分がおじいちゃんおばあちゃんがいた事がとてつもなく幸せだったと今は思うし
甥っ子ちゃんに夢中の親を見ていて幸せに思うし
それが存在しない世界が自分の未来にあるのかと思うと切ない。
そんな先のことに、絶望しなければならない今が辛い。
やはり病気というのはいかん。
人間は健康であるべきだ。
せめて60以上は生きるべきだ。
70以上生きて当たり前だ。
80以上生きれば幸せだ。
長男長女は、おばあちゃんに結婚式を見せられて羨ましい。
おばあちゃんに孫を見せることが出来て羨ましい。
でもそんな中で、彼らには彼らの絶望があるんだろう。
どうしてこんなことになってしまったんだ。