遊戯

心底絶望している毎日が続いている。


受け入れがたい結果ではあるのだが
俺は一番欲しい物を手に入るために努力をして
一番したくないことをしてしまっているのだなぁと思う。



ここがどん底だといえば、大勢の人に後ろ指を刺され、笑われ、否定されるだろう。


それでも僕は毎日が苦しい。

3歳上の先輩で、いつも飲み会で飲み物を注文したり
僕らにも色々と教えてくれている人がいる。
世話焼きで、それでいて上に気に入られるタイプだ。

でもその人がそれを喜ばしくやっているのかというと、たぶんそうではない。
言われると断れない性格で、しかも器用に動けてしまうものだから。


今日も彼が、先輩たちの飲みのセッティングのために就業後に店に電話しているのを尻目に
僕はそそくさと退社した。



本来なら一番若手である僕がやるべき仕事ではあるのだが
僕にそういう声はかからないし、仮に僕が彼の立場に変わってもうまくやれる自信はない。

へんに緊張して萎縮して、上に気を使わせるだけだろう。


とか言い訳を並べて、優雅に一人の時間を過ごす。ゴメン先輩とか思う。


その先輩は、毎週毎週、ここ新潟から往復何万以上かけて実家に帰っている。
僕ら若手には「早く新潟なんて脱出してーよ(笑)」とかつぶやいたりしている。


しかも仕事も結構つらい部分を任されたりしている。


やっぱりあんなにうまく立ち回っている先輩でも
新潟は辛いのだろう、とか。



仮に都心部に配属されていれば、彼は今頃結婚していたのだろうと思う。

そういうのがいろいろあって、悩んだ末に収入の大半を毎週実家に帰ることに費やす、という選択肢をとったのだろう。
それを見ていると、どこか自分の、「こんなところに配属になって俺は不幸だ」
という考えを肯定できる気がして、先輩には申し訳ないのだが、少しだけ安心感は得られる。



やはり辛いもんは辛い。



僕が一番したくないことがあった。それは、雪国で暮らすこと。
なんだそれって思うかもしれないが、本気で僕は雪国、東北、北陸とか呼ばれる場所で暮らすのはゴメンだった。
絶対にしたくなかった。



でも今は・・・って感じである。



この場所でずっと生きてきた人にとっては、この場所にはたくさんの思い出が詰まって
良い場所と感じることが出来るんだろうと思う。


でもやっぱり、自分には無理だ。





昔、田舎暮らしに憧れたことがあった。
でもそのイメージは、なんというのか。トトロ的世界から出るものではなかったし。
ただの都会ぐらしの人間の、口から出たただのワガママな一言だったんだろう。



本当に僕は巡り合わせというものに恵まれない。
自分の実力不足は痛感するところだ。




本当に何をしてもうまくいかない。
毎日毎日朝起きて絶望し、日中は仕事が終わることだけを待ち望み
仕事が終わると、明日に怯える。


心の休まる時がない。





見えるのだ。
ここに生きて、母親が体調を崩した報告を聞き
何も出来ずに落ち込んで、何もかもが終わっていく未来が見える。



何か悪いことをしたのだろうか。
何もしていない。むしろ、努力した。がんばったと思う。たぶん。

ただ、報われない。




一つ思うところがあるとすれば、おそらくは十年ぶりくらいに
新しい、友人と呼べる人たちと出会えたことだ。

今はみんなが散り散りになったが、彼らを本当に好きだと言える。


あの出会いは本当に貴重だと思う。
でも、それを捨てなければならないのも現状である。





人生について本当に考える。
人生はほっといても幸せになるようにはできていない。


町を見ていても疑問ばかりが湧いてくる。
そこら中に家がじゃないですか。
家を立てるのにはお金がいるしさ。


みんな、この場所で永住しようって決めて家を買うわけでさ。

そんなのが日本全国に腐るほどあるわけじゃん。
みんなが何かしらの理由をもって家を建てるわけで。

結婚だってそうだ、自分はこの人と一生添い遂げる、とか思って結婚するわけで。


仕事は?みんなこれを一生の仕事にしよう、とか思って就いているのだろうか。
悲しきかな、仕事だけは、選択の自由の幅がとても狭い。
何故か選ぼうとすれば、ワガママだとか言われる。


俺はそこを選びたいだけなんだ。

どう考えたって人生で仕事に費やす時間はとても多い。
そこを選びたいっていうのの何が間違っているのか。


人が何をどう思って今を生きているのかが、何を見ても疑問になって帰ってくる。
何でこの人はここに住もうと思ったのか、何で結婚しようと思ったのか、何でその仕事をしようとしたのか。


学生が幸せであるというのは、選択の余地が無いからだ。
選択する必要がない、学生であればそれでいいんだから。

選択するということは辛い。選ぶことはとてもつらい。
選ばなかったものは手に入らない。
だったら最初から選ばずに、与えられたものだけで満足している方が幸せかもしれない。






僕はたぶん、普通の人より少しだけ早い段階で選択を迫られた人生だった。
だからかは知らないけど、いろんなものを吟味するし考えるし選択するし
選択した結果を手に入れないと満足しない。


得られなかった辛さを忘れないし、今の屈辱を忘れない。





それにしたって、仮に今描いてる世界が実現すれば
それはとんでもない自己実現になりえる。
それこそ最強、最強すぎる。


母親のことさえなければ、これはとても面白い状況だ。
僕が前にドツボにはまった地獄が、形を変えて難易度も最悪の状態に変わってまたやってきた感じがして
それはどこかワクワクするものですらある。





でもキツイよぉ・・・仕事はぶっちゃけ今は楽だよ・・・
はぁ・・・ワガママワガママ・・・