滅亡

父親的には今の仕事をずっと続けていて欲しいみたいだ。


何かやたらと喜んでくれているのは素直に嬉しいのだが
本当に何故喜んでいるのか俺自信がよくわかっていない。

俺が一番行きたかったところとか、志望度の高いところは
結構ボロクソに言われている反面、俺があんまり行きたくないなーとか
思っていたところや、今の職場はかなり親的に評価が高い。
(じゃあ何で受けたんだよって話だが。)


何故うちの兄弟たちが精神的に不安定なのか。
何故中退率が高いのか、依頼心が強いのか。

それはどこか、なんというのだろう。
うちの一家が抱えてしまった負の連鎖の結果ではないだろうかなぁというのは
朧気ながら、ずっと前から思っている。


最近、長男夫婦がボロクソに言われている。
孫がかわいいが故に、その育て方がひどい的な。あとは嫁が役に立たねぇ的なそういう。

まあそんなのは俺のあずかり知らぬところだからあれなんだが。
基本的にアレなんですよね。うちの親は結構子どもの評価をコロコロと変える人で
ある時は、とても高く評価して
ある時は、とても低く評価する人で。

これが子どもの精神に対してどういう影響をおよぼすのかは、想像に難くない。



あと、知ったかが凄く多い。
僕の正しい知識を、結構間違った知識で否定してきたりする。


時にこれは、うちの爺さんが生涯ガチニートで、子どもを愛すことがうまくできない人だったから
それがうちの父親にも正当に継承されていて
子どもに対してうまく愛情表現ができない父親が出来上がったのだろうなと思っている。


現実、僕もあんまり愛情表現というのは上手じゃない。
好きでも好きと言えないし、心を表現することが下手くそだ。



こういう父親の、どこか不安定な状況が、ここしばらくで結構加速してきている。
それは、イマが結構追い詰められているって状況を表しているんだろう。




去年、祖母が亡くなったあと、我が家は本当に全てが完璧だった。
家族が一丸となっていた感じが、とてもよく現れていた。
兄嫁、姉旦那、孫を加え、新しい形になった家族で。
祖母の死を乗り越え。地域の運動会に、うちの地区はうちの一族が勢ぞろいして参加したりとか、泥臭いことをしていた。

でもあの風景はとても美しいもので、近所でも評判だった。


それがこう、数カ月後の嫌なニュースで、凄まじい勢いで崩れ去っていった。



あれがうちの限界だったんだろうか。
そろそろ、父親を今の場所から降ろしてもいいんじゃないの?なんて昼間少し考えた。



なんだかんだで、あの人は傾いた我が家を立てなおして
子どもを四人、成人まで導いたのだ。


ある一面で俺が特化して、その部分で父親よりも優っていたとしても
それをもってして父親を超えたなんていうつもりはない。
まだまだあの人の足元にも及ばない。


でも、もうおじいちゃんになっていいんじゃないの、と思うわけで。


ホント、10年以内くらいに訪れるべき時が恐ろしい。
たぶんその時、本当に試される。
家業をどうするのか、土地をどうするのか。

誰か一人が欲を出したら、一発でうちは崩壊する。



俺以外の兄弟は危機感を覚えていないんだろうか。
みんななんとかなるとか思っちゃってるのだろうか?


実は今現在、我が家は本気でヤバイ状態に置かれてるはずなんだが。
何故みんなそれにやばさを感じないんだろうか。


普通に考えればわかる。親は死ぬ。
うちは毎月結構な金額の地代を払ってる。
それは事業を継続しないと払えっこない金額だ。
じゃあ誰が事業を継ぐんだ。継ぐにふさわしい人間は誰もいない。
じゃあこの家は、この場所はどうなるんだ。
更地になるのか。代々守られ続けてきた場所を更地にしていいのだろうか。

ばあちゃんが守って、親父が立て直した事業を崩して
更地にして良いのか。それがうちの兄弟の解答なのか。

俺は断じてそんなのは嫌だ。
やっぱり何度考えなおしても、守るべき義務がある。


父親は重荷になるくらいなら捨てればいいってスタンスでいる。
それは、こどもに対する最期の愛情なんだろう。
継いでも苦しいだけだからと思っているだけなんだろう。


どうするんだ。
だってうちの兄弟は、この仕事があったから支えてもらってきたというのに。
この場所で育つことが出来たのは、今まで生きてこれたのは。
お盆や正月に帰るべきところがあるのが、もしかして当たり前だと思ってる?
行くべきお墓があるのが、当たり前だって、思ってる・・・?


俺はそんなの、絶対に嫌だぜ。
だからこそ、兄弟はイマこんなくだらない状態でグダグダしている場合じゃないっていうのに。



じゃあまあ、なんだ。俺が継ぐのかって、そんな無茶苦茶な〜〜ってなっちゃうんですよねぇ〜



でも、孫には、孫には継ぐ権利は、無いのか?と思ってしまう。
うちのかわいいかわいい甥っ子ちゃんはじめ、孫世代にはその権利がないのか、と。


与えられるべきなんじゃないのか。
俺たちの兄弟が不甲斐ないから、孫たちから故郷を奪ってしまうなんてごめんだ。
僕は自分に子どもが生まれたら、この場所を好きになって欲しいし
京の地に故郷があることを誇りに思って欲しいもの。
そして、それを見て生きて欲しいと思うもの。



この継承問題。恐らく、2020年までには訪れる。
現状は積んでる。


みんな、兄貴達は30近くまで生きて、自分の世界があるから、あとはもう知らないってか?
俺は嫌だ。まだ俺は20年ちょいしか生きてねーんだ。


ある意味俺が一番向いてるのかなぁ、なんて思っちゃうけど。
なんにしたって、事業主ってある程度強引じゃないと駄目じゃん。
営業力とか無いとダメだし、知性も必要だ。
それでいて、何も言わぬ従順な伴侶が必要だ。

この要素は、うちの兄弟四人が全部バラバラに継いじゃったな。
だからこそ、誰も幹になる人間がいない。


俺がもっと勉強して、営業力をつけて良い嫁を見つければ
ほんのわずか、ほんの1%程度の活路が見いだせるのかもしれないな。


人生って何なんだろうか。
今まで幸せで贅沢な時間を受け取った分、これから苦しまなきゃいけないのだろうかな。




はー。柄じゃないんだよなぁ。俺じゃ駄目、俺が不適格たる絶対的な理由は
根性なしで決断力がないところだ。

俺はリーダーとかそういうのよりも、脇からサポートするのが得意なタイプなんだよなぁ。

父親が絶対的すぎた。それ故に、子どもは全員、主体的な動きが苦手なんだ。




ああ。本当、僕は家族も、事業も、京都も大好きだけれど、そのどれもが
とても歪な世界の上に立っていることを痛感させられる。

どれか一本でも外したら終わりなんだ。