華姫

何かこう、いろいろとあったな。


別になんもないんだけどさ。明日はおばあちゃんの一周忌。

今日は一時的に京都に帰って、ふらふら町を歩いてた。
懐かしい風景に思えるし、本当に癒された。
帰りたくないな。


「帰る」って言葉が、実家以外の場所に向けられるのが辛い。


ここ一週間ほど、実家に甥っ子がいたみたい。
甥っ子だけが。兄夫婦は普通に遠くにいて、甥っ子だけをオヤジが連れてきたっぽい。
何か名古屋や横浜やらいろいろ巡ってたみたいだ。

本当に親父は、孫がかわいくてたまらないみたいで。
もう帰省した俺とか結構なレベルで眼中に無いというか。

実のところ、もうこの家で、一番年下である存在の俺の場所はもうないというか。

なんていうんだろう。もうこの家で育てられる自分の居場所は無いんだなーとか
孫が可愛くて仕方のない親を見て思った。

嫉妬・・・なのかもしれないのだが、だ。
嫉妬なら恐らく自覚はするだろうし、普通になんか、素朴に思っただけかも。

ようするにその、もうこの実家には、俺の居場所はもう消えたんだなと
今回少し思ったわけで。



母親がガンの手術したんだよなぁ。
それでこう、うちも赤字になったりとかして。



うちを取り巻く環境はめまぐるしく変化して
たぶん俺はその変化を目の当たりにして、だからこう、なんというのか。
何か自分が実家にいなければいけないとかそういう義務感を覚えたんだろう。


もしかしたらそう遠くない未来。
5年以内でもおかしくはない。長くて、たぶん10年程。

うちは、たぶん親の体に限界が来て、家業をどうするのかという問題。
操業しなければ支払えないであろう地代、そうなったときに立ち去らなければいけない土地。


そういうのをどうするのかって選択が訪れるんだろう。



本当に綺麗な未来を描くのなら、誰かがあとを継がなければならない。
そして、継ぐべき適正を持った人間は、誰もいない。


となったとき、その、まあなんだ。
俺がそういうのに精通していれば、少しは抗えるんじゃないのか
というのが僕の勝手な結論で。


そしてそんなのは、たぶん誰も望んでもいないんだよな。
家が終わるのならばそれで仕方がないし、受け入れるべき現実であると
たぶん親族の誰もが、受け入れているんだよな。


でも僕は、それはとても嫌なんだ。
京の地にあるこの場所は、だって、おばあちゃんがずっと守った場所であって。
それはうちの一族が守らなければならないものなんじゃないの?とか思うわけで。


現実的に伴う問題って、地代であったり、仮にここを買取るにしたら固定資産税だとか
そういう金銭的な問題なわけでしょ?

その金銭的な問題に対して、何も出来ないから消極的にこの場所を離れるってのが
一番イヤなんだよ。



それでいて、俺らの世代が誰も継がないってのは、いわばうちらの世代が無能だからであって
甥っ子をはじめとする孫世代が、ここで何かを営む権利を崩してはならないとか
そういうコトも思うわけで。


この問題に対する現実的な解答は得られていないし・

なんだ。短絡的すぎる考えをすれば、俺が宅建とか税理士とか受かれば良いのかとか
そういうことになってきてしまうわけでさ。
でもそれってあまりにも短絡過ぎてアホ過ぎるだろとも思うわけで。


そしてそこまできたら、俺は一体何をするために生きてるんだとかそういうことになりかねないわけ。

いつか親は死ぬし、仮に俺が人生なげうってこの場所を守れる力を得たところで
それって俺の人生はなんなんだってことになってきちゃうわけなんでさ。


そもそもそんな力はたぶん俺には無いし。



逆境やピンチをチャンスに変えろっていうのなら
俺は今、社会に出て素直に苦しんでるし、毎日思い悩んでいるわけで。
そういうのを一挙に解決するのが士業独立だと思っちゃうわけでさ。


でも働き出して全然経ってないのにこんなこと思うって
普通にただの逃げなわけで。

資格に挑戦するためのリスクも計り知れないし、本当に今の立場を捨ててやる価値があるのかって、それはそれでわかんないし。

というようなことを考えているわけで。


そしてこんなことを考えることを親は望んでいないし。
で、親が望んでる望んでいないを、23にもなって判断基準に組み込んでいいのか?とも思うし。

でも親がどうこうっていうことが俺の考えに組み込まれていることも事実で
自らそう思うのなら、別にそれでいいんじゃないの、とも思うわけでさ。


で、今やることはなんなのかって、普通に仕事を覚えることだったり
さっさと新居に引っ越して体制整えることだったりもする。


とにもかくにも俺は要領が悪くてだらだらしている。
まずはこう、猫背を治すとか野

菜を食うとか、結婚相手を探すとか。
この地で友人を探すだとか根を張る作業をすべきだとか思うわけ。


で、のんびり構えているほど時間的な余裕が無いわけでさ。
母親も10年生きるかって、たぶんそうじゃないしさ。




で、どうするんだって話なんですよね。
そもそもこんなこと想い続けていればいつかは病み始めるのが眼に見えているし。


何したらいいんだろまじで。


いやさ、普通に大学でても働かずに資格目指してる人とかいるじゃん。
それが悪いとも思わないし、全然アリだと思うわけでさ。
で、何でそれを実は望んでいるのに俺がやらないのかって
無職の恐怖心と、自分の能力値をある程度適正に把握してるからでさ。

やっぱりワガママなんだろうなぁ。
なんかこう、身の丈に合わないレベルばかり望んでいるから苦しみが付きまとう訳なんだろう。



ただ自分ののぞみがおかしいのかというと、そこまでアレだとも思わないわけですよ。
別に家族とか実家とか郷里を大切に思うのは悪いことではないわけで。


仕事を初めて深く思ったのは、やっぱり俺は何かに飼われるのが苦痛だということと
この仕事を定年までやることは無理だろうなってことですね。

いっそいろいろ諦めて、腹くくれば
この仕事に疑問を覚えつつも、なんとなく結婚とかして定年まで勤め上げて
みたいな人生もアリなんだと思うけど。



人生は1回しか無い以上はなぁとか思うわけ。


アホみたいな話かもしれないけど、何もかもが叶うんだとすれば
独立して開業して、自分の城を持ってさ。
事務所とかあって、庭付き一戸建ての家があってさ。
家族がいて子どもがいてさ。


そんな世界が創り上げられればなーとか思うわけで。


この家業は誰かがついで、俺はサポートに回れたらとか思うわけなんだけど
途方も無いくらいの時間と運と努力が必要でさぁ。



いやーほんと、平均を100としたら500くらいの生活してたと思う。
実家での生活はリアルにヤバかったんだよ。
こんなヤバイ生活を、ペーペーの俺が創り上げられるわけがなかった。




ぐおおお、マジでどうしたらいいんだ。どうしたら幸せになれるんだ。