懐古

ふと昔のアルバムを見てた。


2009年くらいからのやつ?
主だったヤツは、なんだろ。同窓会関係とか、甥っ子が生まれたりとか、そんなの。




09年の冬さ、たぶんTwitterで俺がかなり病んでいた時期だろうか。
おばあちゃんが入院してしまったとき。


このブログを始める前だし、Twitterにもあんま書いてなかったけど。
抗癌剤治療をばあちゃんもしてさ。
モルヒネ?とかそんなのとかもうってた。


それがかなりキツイヤツでさ。
1回もう、生きてはいるけど意識が朦朧としていた状態の時があった。
目の前にいても反応もしないし、目をうっすら開けて、なんだか良くわからない感じ。


その時の絶望感ったら凄いものだったんだけどさ。
あそこから、1回復活したんだよなって思う。

あんなにボロボロだった体でも、ちゃんと退院して
半年間、家で生活を続けていたんだから。

トイレも自分で出来なくなって。


就活と、それが重なって。
俺もどうしたらいいかわからずに、トイレのお世話とかをしていた。


生々しい話をするのだが、大便は母親、小は俺がやってた。
食事も母親が結構担当してた。



その、母親とばあちゃんに血のつながりは無いわけでさ。
それでも母親は、なんだろ。義務感とかそういうのではなく、ばあちゃんを介護していて。
それは僕から見ると、とても崇高なものに見えたんですよね。


嫁と姑の関係とはとても思えない、本当になんていうか、凄いなって思ったわけで。
やっぱさ、大便はクセーしさ。小でも、生理的な嫌悪感はあるわけで。


俺はそれを苦痛とは別の場所で、少なからず感じていたことは事実だ。
どんなに大好きなおばあちゃんでも臭いものは臭い。


それをこう、血のつながりのない母親が何の嫌な表情もせずしていたというのは、凄い。

それはたぶん、俺の知らない、ずっとずっと前からいろいろなことがあった積み重ねなんだろう。


うちのばあちゃんと母親の間に、それが平気でできる信頼感とか、そういうのに疑問はないんだ。
ただ、嫁と姑の関係なのにそれが出来るのは、すごいなって。
そんな風に献身的に生きてきた母親が、皮肉にもガンになるというのは
何か世の中間違ってると思うのだけれど。




散々書いてきてなんなんだけどさ。
僕は、本当に悔いているというか。
そんなばあちゃんが、退院して、今思えば最期の半年を過ごしていた時
どうなんだろ。夜中に僕をブザーみたいなので呼び出してきてさ。
何かなって思って行ったら、立ち上がる練習がしたいって言ってきてさ。

結構それが連日続いて。
いろいろ思うわけなんですよね。果たして、今この時間に立つ練習をする
必要があるんだろうか、って、まあ思った。


ある日、「今しなくても、明日したらいいんじゃない?」って言ってしまったんですよね。



言い訳をすると、僕は正直、疲労していた。
何でこんなことになってるのかわからない世界で
どうして自分は受験も就活もそれだけに集中出来ないのかと、神様をずっと恨んでいた。


あのヒトコトはとてもひどい言葉だと思うし
僕が人として弱かったから言ってしまったんだと思う。
でも、ただただ悔しかったのだ。
昔は、夜中に孫を起こすような人じゃなかったのだ。
時間の感覚すらばあちゃんの中から消えているのが辛かったし
もっというと、30センチくらい近くにある時計すら見えないくらいに視力が弱っていたのだ。

その現実はとても受け入れがたいものだったし
今目の前でいきている時間が、最期の最期の時間であることを表しているみたいで。

僕にしてみれば、僕の就活は23年間の全部を一気に全賭けするレベルの博打を打ってたし
失敗すれば一気に地獄の底、仮に勝ってもばあちゃんはもう長くないっていう
どの道明るい未来は用意されてないことが容易に想像がついた世界なんだから。

そんな中で、僕は人として余裕を保つことなんて出来てなかったし
大いに人として狂っていたと思う。



だから僕は、おばあちゃんが死んじゃったときに、ありがとうとはいえずに
ごめんなさいしか言えなかった。



今でも僕は、やっぱり受け止められていない。
生きていて欲しい。




写真の中に、12月の、モルヒネで良くわからない状態になったおばあちゃんと
甥っ子ちゃんを抱いた父親の写真があった。


それを見たときに、いろいろなことを思い出した気がした。




こっちにきてから、とりあえずはこっちでがんばろう、こっちで楽しもうって思えるから
あんまり昔のモノは視界にいれないようにしていたけれど
徐々に、直視するようになった。


たぶん見てはいけないのかもしれないし、見るとほっこりして懐かしい反面
やはり長い目でみると自分の現状は辛い。



何も考えずに楽しんだら良いのかもしれない。
こっちで本当に好きで好きでたまらん人ができたら
こっちで一生住んで結婚しよう、って思うかもしれない。



人生振り返ると、23年家にいたわけでさ。
まだこっちにきて数カ月で、この数ヶ月がどんなに自分の中で大きかろうと
23年の思い出に勝てるわけがない。


だから、こっちにきて、昔の思い出を見ても辛いだけだから
見れなかったんだけど・・・



直視出来る余裕が出てきたってことにしておこうと思う。



でも本当に、思うのだ。
人として本当に強くなったと思ってる。


正直、楽しいのは自分を偽ってるからで
ある日うつ病にでもなって倒れるんじゃないかと思ってたけど
多分違うんだなーと思って。
普通に自分が強くなっただけじゃん、みたいなあほらしい気付きをしている。


あんま細かいことを考えないようになった。
別に失敗してもイイやっていう。

別に怒られても良いし、馬鹿にされてもいいし
気負わずに生きていこうと思うようになった。



普通にやるべきことを5日感やって、2日間遊べば良いじゃんって。




毎日楽しんで生きても、たぶんバチは当たらんだろう。


母ちゃんのことは気がかりだけどさ。
それを思って暗い顔をしていても、死んじゃったときにどんな顔をしたらいいのか
わからんじゃない。どんだけ暗い顔すればいいのかわからん。


ばあちゃんの経験から学んだのは、死ぬ直前も、死んだすぐあとですらも
明るい顔は出来るということなのだ。


信じられないかもしれんが、俺もうちの家族もそれが出来たし
明るく見送ることが出来た。


母親の場合は早過ぎるが、それでも、生きているんだから悲観する必要はないのだろうと思う。





たぶん僕にとって、家族は、自分の原動力であって、重い鎖のようにもなっているんだと思う。


家族から離れて辛い反面、家族から離れたから出来る明るい顔もあるんだなと思う。
重い鎖になっているというか、完全に自分を縛る存在になっていることは
結構前から気は付いていたのだが。



無視すれば、もっと自由に生きられるんだと思う。
でも直視して真っ向勝負すれば、それよりもっと、楽しく生きられるんだと思う。

人生が1回しか無いというのなら、僕は直視したい。



今いる場所も、たぶん、とても自分にもったいない場所にいるとおもう。
いろいろと経験していこうって思える。