漣坊

うーむ。もう15時間もすれば実家から出るのか。

マジで感情が高ぶってくるな。

いやいや、たまには自分を褒めてみるんだけど
たしかにすごいとこまで来たと思う。


高校をやめるまでは怖い物知らずで
それこそ学校をやめることにすらさしたる恐怖を感じていなかったのだが。

今は身分を約束されていても恐怖してしまっている。

アレから僕は無職というのが僕にとって、いかに恐ろしいものなのかを
イヤというほど学んだし、何かからドロップアウトすることと、レールから外れる
途方も無い絶望を知ってしまった。


強くなっていないかといえば嘘になる。
あのときの想像を、たぶんあのとき、僕の周囲にいた大人達全員の予想を
とんでもないレベルで裏切った場所に今たっている。

たぶん高校をやめずにそのまま生きている世界よりも高みにいるとは思う。

高校をやめたから、たぶん僕はこの職種を選んだし、この職種に就くことができたんだろうと思う。


でもこの代価というのは、やめてない世界の僕は想像の及ばない世界だろうと思う。
もちろん、向こうの世界の僕が何をしているかも、今の僕には想像の及ばない場所なんだが。
極端なことを言えば、結婚してたりとかするかもしれないし。



まず間違い無く、7年前の4月1日、僕の人生は大きく二つの道に別れた。
完全に二つに別れたのだ。


でもどちらの道を行こうとも、恐らく祖母や母の病気は、時を変えずして僕に襲いかかっただろう。

きっとそのとき、今の僕よりもはるかに浅くしか受け止められることの出来ない自分がいたであろうと思う。


人生は無数に選択の連続であることはいうまでもない。
常に最善手を打ち続けることが、最善の結果を導くわけでもない。
間違った一手を打つことで、後々の最善の手を導き出すフラグになることもある。


完全に間違いでしか無かった高校生活だったのだが、確実に僕の中で
その間違いは絶大な影響力を、今現在も及ぼしているのだから。


だから社会人になることへの不安は多々あるけれど
恐怖心は、あの頃を思えば本当に微々たるものであると思う。

まず間違い無く、僕はもう無職になることはないだろうし
つまらない自堕落で身を滅ぼすことも無いであろうと思う。


ただかといって、それをもって、あの時の選択を正解であるとすることも、絶対に出来ないんですよね。
過ちは過ち、過ちを遡って正しいとすることはできんのだから。



本当に、現実感が無いんです。

自分が今のような職につくことができたことも、大学を卒業したことも
もっといえば、大学に合格したことも、浪人を乗り越えたことも、中退したことですらも何もかも
今振り返っても現実感がない。
本当にそんなことを自分が経験したのか不思議に思える。


なんというか、自分にそんなことが出来たということ自体が信じがたい現実なのです。
案外人生こんなもんなのかもしれんなぁ。



まさかこんな結末が用意されているだなんて、とても想像が及ばなかった。
人生は本当に思ってもいないことがたくさんある。

残念ながら、今の僕はまだ、想像してもいなかった出来事が訪れることを
喜びと捉えることが出来ない性格になっている。


どうしても、計算違いだったり、予想外のことが起きることが苦痛に感じる。

何でも楽しいと思わないと損だものなぁ。

振り返っても振り返っても、次から次から、あんなことがあった、こんなことがあったと
湧きでてくる。湧きでてきすぎてキリがない。



一つだけ、僕が強く思うのは、まだまだ先だと思っていることは
案外早く来てしまうということ。




僕の体内時計は、たぶん今も高校一年で止まってるんです。
あの日から大学を夢見て。
受験生になるのを夢見て、受験生になって。合格の日を夢見て、落ちて。
浪人の時も合格を夢見て、合格して。
大学生になったら、希望の職種に就くのを夢見て。

どれも、最中は永遠に来ない、もしかしたら永遠に今の自分のままなんじゃないか、と強く思っていたけれど
どれもちゃんと時間通りに訪れてくれる。


それは残酷なことに、人の命も時間と共に、正確に奪っていくし。

終わらない苦痛はないんだろう。