別離
いろんな場所をめぐってサヨナラしてる。
それにしたって思いますね。
8年前に訪れた公園、もう200回以上は絶対通ってると思うんだけどw
あの時なんにも無かったのに、気付けばここまできていると思うと
本当に感慨深いものがあります。
にしたって、お別れした人の数よりも、お別れした場所のほうが多いんじゃなかろうか。
好きな場所を作ることは、本当に人におすすめ出来ますね。
好きな場所というより、逃げ込める場所とでもいいましょうか。
僕の場合は、お墓は逃げ込める場所として機能していました。
高校の時辛い時、学校にいくふりをしてお墓に逃げこんでいました。
お墓の前で嘘はつけませんし、かといって弱気になることも出来ず。
でも逃げこんでも誰も怒らないけれど、誰かが聞いている気がしたり。
あとはまあ、しょっちゅう書いてる通り公園だったり。
その公園もホント、何か住宅地の中にある何気ない公園だったりもします。
あるいていける公園もあるし
あるいはバイクで20分くらいかけて行く、まず日常的に立ち寄ることはないであろう場所だったり。
あとはあれですね。何かの出来事、ほんの些細なものでもいい。
僕の場合は、教習所に行ってる時に立ち寄った場所だとか、免許試験場の近くの公園だとか。
あるいは就活の時に立ち寄った場所だとか。
ばあちゃんの入院中によくふらふら行った病院の近くの公園だとか。
そんな場所を一度記憶しておいて
後日時間の開いたときに立ち寄ると、あれから何ヶ月たった、あれからこれだけ変わった、だとか
浸れたりします。
もちろん友達と毎日遊ぶのもとても楽しい。
けれど別に、日常的に頻繁に遊ぶ友達がいなくとも、場所は人を選びませんから
それなりにひとりで楽しめる行為として、いろんな些細な場所を、自分のお気に入りスポットにするといいです。
それにしても、本当に僕は公園というヤツが好きです。
お気に入りの公園は10個くらいあります。
公園ってすごく良いんです。街中にあって、かつ街中にある自然というか。
そういうのがすごく心癒されますよ。
遊んでる子供を眺めてるだけでも何か幸せになれますし。
次に立ち寄るのはマジいつになるのやら。
とてもさみしいけれど、でもこれも僕が強くなるためには必要な儀式なんだろうと思う。
逃げ込める場所があって本当に良かった。
さあ、もう明後日、いやもう明日か。
終わってしまうんだな。
でもさ、いろいろ思うけど、1ヶ月もすりゃゴールデンウィークだし、まずはそれを楽しみに生きようと思うw
案外屁でもないかもしれんしさ。
もしか、今ばあちゃんが生きていたら、残していくことに胸が張り裂けそうになるだろうと思う。
でも、たぶんそれ以上の苦痛と屈辱と敗北感は、十分に味わった。
これでよかったんだと思う。
見送れて京都から去れるんだから。
はー。がんばって強くなろう。