墓標

うーむ。
納骨を終えた今本当に複雑な気分だなぁ。

あっさりっちゅーかなんちゅーか。
あっさりしたもんですよね。


納骨を一度もしたことがない人ももしかしたらいるのかもしれない。
軽く説明すると、納骨というのは、死んだ人の遺骨をお墓に収めることです。(当たり前か)


あんまりお墓参りに行かない人もいるかもしれない。
お墓の、大体真ん中下くらいに、ズラせる石があって。
そこをずらすと骨と位牌を入れる場所があります。

家に置いていた遺骨とお別れして、そこに骨を収めるのが納骨です。


やっぱ冷静に思うと寂しいもんだなー。
もうおばあちゃんの全てが、お墓の中に入っちゃったんだもんなー。
キモイかもしれないけど、ちょろっと骨食べたりとかしたんだけど。
あとちょろっと骨もらって、プチお線香セットみたいなの作ったので
4月からはそれにお線香立てて気を紛らわすことにする。



どうなんでしょうね。最終的に生きている僕自身の宗教観に行き着くのだろうけど
ちゃんと離れるべき時に離れるのが、たぶん生きやすいのかもしれないですね。

でも僕はまだまだ不安だらけだから、もう少しだけばあちゃんを連れ回そうと思う。


おじいちゃんの納骨は、僕が最期に骨をお墓にいれるのをした記憶があるんだけど
おばあちゃんの遺骨は、親父が最期を務めました。

本音を言うとちょっぴり嫉妬したり。最期にちょっとだけ持ちたかったとか思うけどw

独り占めするわけにもいかない。親父にとっては、母親なのだから。




ちなみに、戒名ってあるじゃないですか。あれカッコいーですよねー。
僕もほしーなーとか思っちゃった。


僕のひーじーちゃんとひーばーちゃんの骨を収めるために、うちのばーちゃんとじーちゃんがお墓を立てて。
其の墓をうちの父と母が守り(管理して)
僕がお墓参りをして。
甥っ子ちゃんが手を合わせて。って思うと、うちはあのお墓を通じて五世代がつながるわけでさー。
そう思うとスゲーなーとか思います。



生きてれば当然のように、自分のお墓が出来るとか思ってたんだけどさ。
実のところ、無縁仏とかまでいかなくっても、お墓がない人なんていくらでもいるわけで。
お墓を自分の次の世代がつくってくれないと当たり前ながらお墓は生まれないしさ。

そして其のお墓にお墓参りをしてくれる世代がいても成立はしないし。




同時に、家族の有り様なんてそれこそその家のものだから
別にお墓参りに行くのがそれ即ちイコール良い家族であるとも僕は思いません。


でも僕は、お墓が欲しいなー。
今からこんな話してどうすんだって話だけどw

自分の戒名とお墓が建てるのを人生の目標にしよっかなー。
うちの跡継ぎがいるんなら、その子があのお墓に入ります。
僕がはいれるほどあのお墓に余裕もないし、お墓が欲しいなら定期的に参ってくれるような自分の子孫作らなきゃなぁ。



なんにせよ、昨日をもって、人が生まれて、そしてお墓に入るという、一つの物語の終わりを見たんだなーと思います。
良い経験をしました。