其十三

にしたってこう、あるわけですよ。運命、いや、宿命というのが。



今まで健康だったおばあちゃんが、吐き気があるのか、病院にいった。
症状は腸閉塞だった。だがCTスキャンの結果、腸閉塞とは全く別に膵臓にガンが判明した。

5年前、僕が浪人生の頃の12月の話だ。




その頃はいろいろと時間も過ぎ、二度目の受験を目前に控えて、正直もう、身も心もボロボロの時期だった。
後々就活のさなかにも、またばあちゃんが体調を崩し、やはりガンであるということで
なんというのか、僕の大きな変化、戦いは常に最愛の人の命の危機を迎えるという・・・

こう、どこか悪魔の脚本のようなものが裏であることを感じさせる、そんなふうな世界が、たぶんここから始まった。




この時も当たり前だが酷くショックを受けた。
何故今なのか、どうしていまなのか。

いろいろと悔い改め、自宅で浪人することを決めて生きて、一応は真面目に生きているというのに。
何故こんな仕打ちを受けるのかと思った。
自分がちゃんと学校に行っていれば、今頃どこぞの大学の1回生で、ずっと祖母につきっきりでいれるのに、と。
満足に診ることも出来ず、心の奥に不安を抱えたまま祖母のそばにいるのが、どこか心苦しかった。
それまで、おばあちゃんはリウマチやらなんやらで、健全であるとはいえなかったけど、それでも二足歩行をしていたし。



その頃まで、僕は今をはるかに凌駕する酷い人間だったように思う。
晩ご飯はいつもおばあちゃんと二人で食べていた。
でも僕の食器は全部おばあちゃんに出してもらって、僕が「コップ!」っていったらばあちゃんがコップを出してくれる。
食べた後の食器は手の悪いばあちゃんが洗う。今思い返してもゾッとするほどのクソ孫だった。
今の僕の目の前に当時の僕が現れたら問答無用でフルボッコにする。


あれだけ大切に育ててもらっても、甘やかされて生きるとこうなる。
うちは自営業だから、親は24時間家にいるものの、基本的な子育ては、大半おばあちゃんがしてくれていた気がする。
おばあちゃんはやっぱり末っ子の僕にはとても優しい人だった。
僕もばあちゃんが大好きだったけど、なんというか、好きならもっとまともになれよとか今は思う。
それでもやっぱ変わらんのが駄目人間なところなんだけど。


命は有限であるだなんて小学生でも答えられるというのに、僕はばあちゃんが死ぬだなんて想定していなかったし
半ば無限、永遠につづくものであるかのように思っていた。
浪人していろいろ悔い改めはした。それでもやはり、そういう部分で僕はまだ何も変わってはいなかった。
そこにきてのガンの発覚というのは、どう受け止めて良いのかわからないものだった。




とりあえず今の自分にできることは、もう今年合格するということだけ。
悲しきかな、浪人生の僕に出来ることは、それしか無いのだ。


だから受けるつもりのなかった滑り止めも受けることにした。
受けるつもりも行くつもりもない、けれども、自分の今いる場所というのは、もはや第一志望以外行きたくないだなんて
言ってられるような状況でもないことを認識した。


仮に第一志望に落ちて滑り止めに行くことになっても(正直滑り止めすら受かる自信がない程度には浪人時期は自信は喪失していた)
絶対に二度とばあちゃんの前で辛い顔はしないでやろうと思った。




そしてここからが、宿命じみているというか。

少し話が飛ぶが、うちの父は、実は過去に浪人していて、さらに志望校も、僕と同じ大学だった、ということを知った。
そしてさらに、あまりにも出来過ぎたことに、父親の浪人中、父のばあちゃん、僕のひーばあちゃんですね。
ちょうど同じ時期の12月に病気で倒れたらしいです。



志望校も年も状況も全てが父親と同じで、僕はそこに一つの宿命を感じずにはいられませんでした。
出来過ぎた嘘みたいな話です。ばあちゃんの病院に向かう車の中、父親がこの話をして。
僕はそこで人生で初めて、父親が僕の第一志望の大学を目指した過去があること、浪人していた過去があることを知りました。
世代を超えて全ての状況が完全にリンクしました。
あまりにも舞台の整った世界に、僕はほんの少しだけ興奮しました。



ちなみに父親のその後の世界はというと
父は、浪人しても受かりませんでした。そしてひーばあちゃんも、死んでしまいました。
そして、なんだろう。その後父親は、長男を産んで、家の仕事を継いで。
車内で、自分の浪人しても受からなかったことと、自分の祖母が病気で倒れたことに付いて
「どこか心の奥でソレを言い訳にしていた部分もあるしなぁ」なんて言葉を聞いて。
そこで初めて、自分の親の人間らしい部分を見た気がしました。
僕がもう19歳だから、19歳にわかる世界を話してくれたんだと思います。
命も結果も、どちらも得ることが出来なかった世界の辛さや寂しさの先に、自分の今いる場所があるんだなって思いました。



車内で聞いて、そこで初めて、もしか自分が高校を辞めたり、浪人した意味があるとするのならば
これはもう叶わなかった父親の過去を、世代を超えて僕が叩き潰すためである、とかちょっと本気で思いました。


というかもう、そういう風にでも考えなければ、僕はばあちゃんの病態をまともに受け止めることは出来ませんでした。
そしてどこか、僕がここでがんばって受験に合格すれば、ばあちゃんも治る、とか。そんなこともちょっと考えました。




ちょうどガンの手術の日、僕の第一志望の受験の前日だったかな。(これもまたひどい運命だったけど)
無事に手術は終わりました。そして滑り止めの方は、大した大学じゃないけど、9割くらいたたき出して通ってやりました。(自慢)
病室に特待の合格証書を届けたとき、何かそこで一つの終わりを見たような気がしました。
なんかもう、ここで受験を終えてもいいのかなとか。


むしろもう、此処から先の話は見たくないなと素朴に思いました。
もう受験も全て終えてあとは合否を待つだけだけれど、それでも今の世界は、とても綺麗。
滑り止めのところでも家族は満足していたし、祖母の手術も無事終わったし。
そこで時間が止まってくれれば、僕は一生今の綺麗な世界にいられるって思いました。


それでも、時間が経てば結果は届く。もう二浪はない。いろいろ策は考えたけど、まあここで受からなかったら。
たぶんそこで話は終わります。