ソレ

僕は人見知りだ。

でも一人だと、知らない人がいても案外戦えたりする。
ただ自分が知ってる人が周囲にいる状態だと、知らない人と話すことが出来ない。



僕は家族の前と、友人の前、さらには友人のカテゴリーの違いによっても、なんとなしにキャラが変わってしまうので
家族と友人が同時に存在する状況だと、どのキャラで動けばいいのかが不明になってしまって、何も出来なくなってしまう。




多かれ少なかれ、誰だって相手によってキャラは変えてしまう。
でもそれが相手から期待されて(いると思い込んで)キャラを変えているからなのか
自分がそうしたいからキャラを変えているのかで微妙に違いがあるじゃないですか。

前者は、例えば目上の人の前では丁寧な振る舞いを期待されるから、物腰柔らかくしゃべりますよね。
恋人の前でニャンニャン甘えたりするときって、別にニャンニャン甘えることを期待されてニャンニャンするわけではないじゃないですか。
自分がニャンニャンしたいからそうするわけで。
まあニャンニャンする相手いないんですけどね、僕には。




家族、友達のパターンでもこれは強く作用してきます。
家族が僕に貼りつけてる、口数が少ない、シモネタを言わない、ヲタクじゃない、とか大量のラベルと
僕が友達の前で見せてる、下ネタとか言いまくる上に、エロ漫画大好きな感じのキャラのラベルと
凄まじい矛盾を引き起こすんですよね。
そして僕は、期待というラベルに反発することを極端に嫌います。

結果的に僕は、友達が家に来ると、極力家族と友達を同じ空間に置かないように仕向けます。
自分・家族・友人が同じ空間にいると、僕はもう完全に何をどうしたらいいのかわからなくなってしまいます。



これはかなり幼い頃から同じで。
家ではおとなしいのに、学校では結構しょうもないギャグとか言っちゃってるという矛盾(別に矛盾ではないってことに気づけなかった!)に
ひどく苦しんでいました。




昨日、地元の友人の家に行くと
普通にリビングに友人の親とかもいるんだけど、余裕で萌えアニメ(まどかマギカ)とか見ちゃってたんですよね。
友人は家族の前でも友人の前でも、キャラを変えることなく生きているのです。
それが少し羨ましかった。


周囲からの役割期待って、別にこれ僕がどうこうじゃなくって、どこにでもあるじゃないですか。
僕がちょっとだけ多めに他の人よりもソレを気にしているだけで。
だから高校デビューとか、大学デビューとか、今までの人間関係が白紙に戻せるチャンスに、人は全力投球するわけですよね。
そこには今までの自分を見知った人は誰もいないのだから。




ただこう、レベルと装備がそのまんまであるという事実に目を向けられることが少ないんですよね、そういうのって。
そうそう現実変わらないんだよな。そんなに。
高校まで陰気だったから、大学でがんばってギャル達と友達になるぜ!とか思ってさ。
でもまあ、無理じゃん、現実は。大学でイケてる感じのファッションになろうとも、こじゃれたブーツとか履くくらいが限界だろ?
勝てないよな。今までブーツを履いてきた組には。勝てるわけがないんだよ。






最近になって気付くのだが、もしかしたら僕は別に人見知りじゃないのかもしれない。
何か就活とか通して知らない人と話たりするのが、そこまで苦じゃないというか。
この人はどんな人なんだろう、とか思って興味が湧いてはいる。

面接とかも、自分のことを好きなだけしゃべっていい、と考えると、楽しかったといえば楽しかった。
(無論それをもって就活=楽しかった、なんて絶対に思わないが)


というところから、僕は人の目を気にして、他人から期待された役割を演じるのが好きな人間である、というところまで
就活中に自己分析(核爆)とやらをやってみて、でもあまりにも気恥ずかしく、当たり前のことをそれっぽく言ってるだけだろ!とか
自己ツッコミをして、そこで考えるのを辞めた。




恥ずかしい話、もう何年も本当の自分って何だ、なんていうことを考えてもいるのだが
僕のその問題に対する答えは、自分が独りでいるとき、ソレが表れるというのが僕の結論です。
独りで誰も気にせずに動いている時間が、ソレであると、なんともどうして、今更な結論を見つける。


インターネットをしているときは、僕は部屋で独りなのに、かつ他人とも同時に接することが出来るという
奇妙な空間の中に入ることが出来るので、僕は今日もインターネットに依存している。
インターネットは家族・友人から絶対に不可侵な領域であってほしい。
ツイッターの垢とかバレたら即自殺するレベル。
ツイッター・家族・友人をダイナミック接続してる塚田は、正直俺の目から見るとマジキチもいいところだ。
気心を知れたリアル友人と相互フォローになってる人も、理解出来ない。


そういう人たちは、人に見せたくない部分とかを世界のどこに吐き出してるんだろう。
飲み会後、ちょっと深い話とかしてみようみたいなテンションになった時に目の前にいる友人?
それとも付き合ってしばらくたった後、ベットの横にいる恋人?
大げんかしたあとに感極まっていろいろ親に向かってぶちまけるの?


それにしたって、絶対に出せないモノはある。
例えば性的嗜好、友人に対する愚痴、実は世の中はこうなんじゃないのかとひっそり思ってることとか
「これじゃまだヌルいな」とか思ってるけどちょっと試し斬りしてみたい現代社会の見識だとか。いろいろあるでしょ!
そういうのをインターネットでぶち撒けるのが、僕の今までのネットの全てだった。
インターネットには誰の目も無い、だから何でも書けるんじゃ!!と。




だが最近、インターネットでも徐々に、上述のような役割期待がキツくなってきている気がして少し困ってきている。
誰がどうとか全然そんなのはなくって、完全に内面の問題だと思う。
どうしても僕は、人目を気にして、今もこうやってこそこそインターネットをしてしまっている。



インターネットは絶対的に自由な空間であれというのが僕のインターネット観です。
インターネットじゃ人は殺せない。殺人予告をしようとも、絶対に人は死なない。
だから殺人予告で逮捕とかマジでクソだなとすら思ってる。ギャグの範囲での殺人予告全然アリだ!とすら思ってる。



でも最近は、ホントこの考えは凄く遅れてるというか、現実的ではないじゃないですか。
インターネットで人を殺せる時代はすでに何年も前に颯爽登場してるんですよ。



ほら、ネットのコミュニティでいじめられて自殺とかあるじゃないですか。
ネットで殺人予告とか書いたら、ソッコーで警察動いちゃうでしょ。だから駄目なんですよね。
インターネットから自由が消えていってるんや!(殺人予告を自由と表現してるわけではないです)




ネットが進めば進むほど、人間関係が濃密になっていく。
濃密になっていけばなっていくほど、僕はどんどん自分のしたいポストが出来なくなっていく。
そして最大の問題は、別に期待されてないってことなんだよな。
そうなんだよ。大してパイズリ太郎に対して期待されているものは大きくないんですよ。


そして家族も同じで、たぶんそこまで強く僕に期待を背負わせているわけでもないんですよ。
僕がアニヲタであると堂々と公言しても、別にそこまで、なんないよね。現実的になんないよ。
縁切るとか、キモいから死ねとか、ならないんだよね。別にならない。
「ちょっとやめてよぉ〜」とかそんな程度で終わる。
何かそんなのより、普通に楽しそうに生きる、とか、そんなことのほうが期待されてるはずなんですよ。




新生活を始めると、今までの全てがリセットされる。
今まで築きあげてきた場所も、また今までの汚点も全てが完全にリセット。
ただ装備はそのまんまなんだよ。俺はそこを見誤らない。
ということで、さっきからずっと初心者向けブーツを探してる。