対峙

だんだん卒業式とかのシーズンが近付いてきますね。

僕の高校の最期の思い出は
卒業式ではなく終業式、でもなく。

終業式後、僕は他のクラスの担任の先生と二人で会う約束を取り付けました。
それが僕の、高校1年最後の思い出になってます。





僕と同じく、成績も出席も足りなかった友人がいました。
僕と彼はクラスは違ったけど仲が良くって。
12月頃から二人で会うたびに「留年したらどうする?俺やめるけど」みたいな話をしてました。


でも彼は2年に進学することが出来ました。
彼の担任の先生が、職員会議で必死に彼を擁護し、進学させてあげたのです。


彼がそのまま上の学年に進むことを聞いたとき、どんな顔をしたらいいのかわかりませんでした。
彼の進学に僕は全く関与していない。でもクラスの担任が違ったことで、二人の運命に大きな差が生まれました。
彼に文句を言うわけにも行くまい。でもこの言いようのない感情はどこにおけばいいのかわかりませんでした。



僕の担任の先生は、60くらいのおっさんでした。
特に何かするわけでもないおっさんです。気の良いおっさんで
授業には出たり出なかったり、勉強もしない僕に何かする人でもありませんでした。
うちの親に僕が授業サボってたりすることも全然伝えない人だったから、気が楽だった。
そこに甘えていたのも僕で、それを良いように利用していたのもまた、僕でした。
担任として正しい姿がどうなのか、なんて僕は教師じゃないのでわかりません。


僕の担任が、僕を進学させることに尽力しないのを、当時の僕は間違いなく利用していたし
仮に僕を進学させようと必死になられたら、めんどくせーとか思っただろうし。


でもやっぱり、彼が進学したことは大きかったというか。
何で同じく留年するはずのあいつはよくって、俺はダメなの?なんて。教師の力で進学出来るんだ、とか。
「散々教壇で平等だのなんだのいっておいて、お前ら教師は最終的にそうやって人を選んでるだろーが糞が!!」なんて思いました。
高校留年なんて低レベルな争いです。
ほんとにこの世にこんな底辺があるのかというくらいに低レベルな争いですw


進級に不平等なんて言い出したらキリがないです。
成績1位も、留年スレスレでも、平等に進級するんだから。
そんなものに不平等なんて言い出せばキリがない。


ただあるのは、一定数の出席と赤点の数だけ。ただそれだけがルール。
だからこそ、そのボーダーだけは美しく絶対的なルールであって欲しかった。
そこに温情措置が入ることが、納得ができなかった。

僕みたいなゴミはいいとしても、病気で学校に来れなかったり、真面目に来ていても成績が追いつかずに留年した生徒を差し置いて
そうやって教師の温情権限で生徒を進学させるなんて、当時の僕は許すことが出来ませんでした。




だから僕は、彼の担任に、たぶん人生で初めて大人の人に喧嘩を売りに行った。
でも僕の「こんな展開不平等だ!」なんて荒唐無稽な主張は、わかっては貰えなかった。まあわかってどうなるという話なのだが。
現実僕は意気揚々と、「あの糞教師を論破してやるぜ(笑)」とか思って行ったはいいが
部屋に入るなり泣き崩れるというみっともない姿を晒してしまった。


誰が見ても僕の自業自得の世界。でも16歳の僕には、全ては自業自得だから、なんて自分で納得出来るまでの頭はありませんでした。
当時の僕の目に映るのは、教員の差によって進級の可否が決まるなんてアンフェア過ぎるということだけ。




今でも当時の僕らの背景を知る人は、お前ら二人(僕と彼)の担任が入れ替わってたら二人の運命も変わっただろうな、なんて言ってくれます。
その言葉がどこか嬉しいような、逆に虚しいような。



今でもたまに、やっぱりこれは考えます。
もしかあの時、僕の担任が彼の担任だったら、僕は進級出来ていたのかもしれないと思うし。
でもやはり、現実は変わらないし、原因の99%は自分にあるので、それを別のところに置き換えても仕方ないよなーとか。

しかも数年後、僕には何にもしてくれなかった僕の担任は、僕以外のヤツを進学させるために職員会議で熱弁していた、なんて話も聞きました。
「あいつには将来がある!」なんて熱弁があったようです。何かこう、俺には将来ないのか!とか素朴に思います。



担任を恨んでいるのかは自分でも、また今でもわかりません。
恨み方がわからないし、恨んでも仕方がないし・・・どう処理したらいいのかわからないモヤモヤがあります。


大学に受かった後も、内定が出た後も、たびたび担任に話をしに行こうかとたまーに思ってしまう。
それは僕の中での、担任に対する勝利宣言という青臭い感情がそうさせるのだけれど。


ただ僕の担任は、僕を留年させたことを大して気に病んでもいない(当たり前だ)だろうし。
となったら、結果的にちゃんと立ち直ってここまで来た僕を見たら、当時の自分の判断が正しかったと、そう思ってしまうはずで。

それはどうにも、あまりにも悔しい。
永遠に僕の末路は知らせないのが一番良いのかなーとか、そんな風にも思います。


たぶん僕は、担任にたった一言でも、何か言葉をかけて欲しいんだと思います。
あの時の一年間の担任生活に、ほんの一欠片ほどのミスもなかったのかと、ただそれだけを問いたいのだと。




ただこの話にも続きはあって。
その進級させてもらった彼は今何をしているのかというと、ちゃんとその後真面目になったんですよね。
旧帝大学院に行って公認会計士を目指しています。


二人の進級措置に差が出た後、お互い少し気まずくなったけど
それでもやっぱり、友達だったから、数ヶ月もしたら仲良くなってたし。
彼が今こうやって意識の高いことをしているのを見るのは嬉しいです。

それはあの当時の、教員達の判断が誤りではなかったという証明になります。
もし彼があの後堕落していたら、身勝手ながら僕はそれに怒りを向けてしまいます。


僕は何か、あれから人生軌道修正して何とかここまできたけど。
その分もう、青臭いことを言うと大人を信用しなくなりました。
僕にもし子どもが出来ても、学校の先生なんて何一つとして信用しないと思います。
別に積極的に先生に嫌がらせなんてもちろんしないですけど。
先生に何一つ期待なんてしないし、教壇で教えられることもただの綺麗事にしか受け取れないです。

教師という職の重圧と難しさは承知しているので、別に邪魔こそしないですけど、それでも信用は出来ません。


僕がちょいちょい大人はくだらねー生き物だ死ねとか書いてるのは
この頃に抱えていたフラストレーションと甘えの延長線にあるものです。




そしてこの考えも、大学卒業と同時に捨てなければならない感情なのかなーとか。
流石にもうここまできたら、過去は綺麗サッパリ忘れなきゃいけないのかにゃーとか最近思ってます。
もう此処から先は、高校なんて過去も過去。これから先の僕の未来に、留年なんてほとんど影響してこないのだから。


いつまでも過去に引きずられても仕方が無いしなぁ。
ただ一つ。良い学校に行ってても、ちゃんと育つかなんて何もわからないということです。

僕がたたき出した目は、親の目から見て気が狂いそうになるほどの最悪の目です。
もう子どもを見捨てようとすら思うだろうし、自分の子育てに自信を無くしてしまうと思います。
順調に育っていたようにみえていたのに、一転して最悪の目を引っ張ってくるのだから。


それでも見捨てないでいてくれたことが、僕の親に対する罪悪感の根源で、今も何か家族に格好をつけてしまうそもそもの根源です。
ようするにこう、何だかんだで学校は大事だということです。
ちゃんと卒業しないと僕みたいに、何時まで経っても「あああーー!あの時こうだったらなーー!」とか想い続けちゃうってことです。



まあ何か今にして思えば、想像つかないんですけどね。ちゃんと高校行ってる自分なんて。
遅かれ早かれどっかで転落してたでしょうし、軌道修正出来るあいだに落ちぶれて良かったんかにゃー