堅実

結局のところ、何も出来ないのだろうか。
晩ご飯も普通に会話してた。
兄貴はまだちょっとショックがあるのか、無口だった。


たぶんあの人より、俺のほうがまだ肝が座ってるのだと思う。

母親が仮に死のうが死ぬまいが、たぶんこの一件は不幸以上の意味を持たない、と考える。
笑って見送れる気が、しないのだから。

万が一があれば、後悔しか残らない気がする。それはきっと、子どもとして情けないのかもしれないのだが。


出来た子どもではなかったと思う。
やっぱり思うのだ。京都に残れればまだ気が楽だったと。


そりゃ関係ない。自分の就職とか何にも関係ない。
就職に関して、心配こそかけたかもしれないが、たぶん最小限に抑えた。
家が僕の就職なんてどうこうやってられる状況じゃなかったんだから。
だから僕は一人で黙々と動いて、結果的に仕事は見つかったから良かったのだが。

こんなことなら、何か・・・ね。何かやってやれれば良かったんだけど。

昨日の夜中に、リビングで親父がPCやってたから、ちょっと話してた。
結果的にボロボロ泣いてしまった。

親父も辛いっていうことはわかってるし
今こんなところで俺が不安に思ってることを伝えても、負担を増やすだけだとは思ったがそれにしたって限界だった。
今までなんだったんだ、みたいな。

うちの家族は何でもかんでも前向きに解釈しやがる。
あれはこういうことを伝えようとしてる、あれはこういう意味がある、って。
婆ちゃんの時はそりゃ、考えりゃいろいろあったよ?
今まで生きてきた人間が死んでいく姿を見るのは、長い人生で見れば別の視点を提供してくれることだろう。

それは見送る人間の解釈であって、宗教だ。
僕もこういう生き方や考え方には賛成だ。

いろんなものに前向きに解釈すれば、きっとそれは人生は豊かになると思ってる。

そりゃ例えば自分の子どもが死んだ親は、不幸を代価に命の尊さだとか、そういうものを学べるだろう。
それを否定は出来ない。でも、それを学ぶ代価にふさわしいのか?って、そういっちゃえば身も蓋もないけどさ。
でもその代価は、あまりにも大きいじゃないですか。

婆ちゃんは長生きとは言えないけど、老いの末に死んじゃったわけでさ。
ってなったら、残された人間は不幸面するわけにも行かないじゃないですか。


でも今の僕に取って母親が死ぬっていうのは、たぶん耐え切れるものではない。
そこまで僕は自立していないし、永く時間を過ごしてもいない。



なんでまた、って言葉がとめどなく溢れてくる。
なんでまたうちの母ちゃんで、なんでまた今のタイミングで、今の年齢で、なんでまた肺ガンなのか。


不幸以外の言葉で片付けられないのだ。
確かに僕は出来た子じゃないけど、でもここ数年は真面目にやってはずなんです。
それこそ同世代の大学生よりも、僕は真面目だったと言えるし、たぶん努力もしたと思う。

そこに罪滅しの意識は確かにあった。
自分が不出来だから親にいっぱい迷惑かけてしまったから、せめて真面目になって返すしかなかったのだから。


だからこれからだった。大学に行くことは悪いことじゃない。そこで真面目にやることも悪いことじゃない。
でも問題なのは、やっぱりそこから先にあるとおもう。
僕はアカデミックな意識の高い学生では無いし、真面目に研究したわけでもないから
結局は働く先でどれだけの意識を持てるかしか無い。
いかに真面目に学ぼうとも、それを生かせなければ、働く場所が無ければ、水泡に帰すのが今の日本なのだから。
それを思って、今までことをいかして、これから僕は働くんだから。


それで立派に社会人をやれれば、初めて堂々と親の前に立てると思っていたのだが。
別に母ちゃんが死ななくたってちゃんと真面目に働きますよ。
毎日クソみたいに朝起きて働いて税金収めますよ。


ひどく現実感のない時間が流れて、戸惑ってばかりいる。
正直、もう終わりだと思ってました。

就職が決まったあたりから、今後もいろんなことに挑戦はするんだろうけど、たぶんもうこれ以上のでかい波は来ないと思ってました。
これはたぶん甘い考えだってのは理解しつつも、こんな形で来るなんて思ってませんでした。

神様なんていないし、奇跡なんて起きない。
わかっていても、この展開はあまりにひどい。


いやはや、ホントに悪徳宗教なんか来たらころっと騙されそうです。
こういうところに付け入ってくるんだろうなーって思いました。

今できることって何なんでしょ。
真面目に生きること?



僕より辛い人も、不幸な人も大勢いるはずなのです。
でもそれにしたって、それにしたって。


何も自分に原因が思い当たらないんです。今回にいたっては。
今までは何だかんだで理由をつけて、その理由を打ち砕くことで僕は前を向けたんだけど
今回のは理由がさっぱりわからない。

ただの不幸で片付けて、それを飲み込めるほど僕は理性的な大人じゃないのです。
何もかもがおかしい。狂ってるしか言えない。

何が駄目だったのか、わからないです。



僕は結構宗教的な考え方が好きなので
何だかんだで悪い人には天罰が下るだとか、頑張ってればいいことがあるだとか。
そういうことを信じているんです。
その裏で、ひどく現実的で、そんな考えを打ち砕くようなものも認めてますよ?
それでも、そうやって信じてないとやってられないことってあるじゃないですか。

ただ運が良くって、ちょっと悪いことしたほうが生きやすいとか。
面白くないじゃないですか。そんなの。
因果応報こそ、この世の一つの法則だと僕は今も信じているのです。


母親の危機はそれ自体が辛い。どうしようもないほどに辛い。
でも今まで信じてきていたものが粉々に潰されたことも辛いです。


この一件で僕が学べるものは、たぶん辛いものしか無い。
命の大切さだとか、生きることの尊さなんて十分に学んだ。
むしろそれを学ぶのにこんな一件が必要なほど馬鹿でもないのです。

だからこそ辛い。何をさせたいのかがわからない。
ただ、もっと長生きして欲しい。それしか思い浮かんでこない。

10年、20年、30年と生きて欲しい。
これは欲じゃない。当然の願いのはずなんだ・・・

でも何もしてあげられることがない。
もっともっと健康に、もっともっと長生きしてくれれば、たぶん僕も、また違った世界を見せてあげられるはずなんだが。


どうしていたら良かったんだろう。
もっと立派な人間であったらな、何か世界が変わったんだろうか。
こういうとき、どうしても自分が高校を辞めたのが全ての始まりのように思ってしまう。
どうしても、どうしてもそれが諸悪の根源なのかなって思ってしまう。
受験なり就職なりするたびに何かが被ってきて、そもそもあれさえ無ければ
僕はもっと普通に生きていたんじゃないのかと思ってしまう。

やっとすべてが終わったと思ったのだけれど、全然終っていなかったような気がして。
何にも関係ないんですよ?別に僕がどう生きようとも
このタイミングでこの一件が起きるのは決定されつくした運命だった。

僕が京都に残りたかったのは、何よりも・・・親の死に目に会いたかったからだから・・・
京都が好きだって言うのもあるし、家族と離れたくないとかいろいろある。
いろいろあるけど、何よりも家族の死に目に離れたところにいて、会えないって何より辛いじゃないですか。
自分が京都から出るこのタイミングでこんなのが起きるって・・・


何か呪われてるんじゃないのかなぁって思います。
僕来年あたりが前厄なんですよ。
厄年の話を聞いたときに、「これ以上ひどい厄なんてねーだろw」ってつい数カ月前に言ってたんですが。
前々役でこれだなんて。厄年は何が起きるんでしょ。一家全滅ENDくらいしか思いつかないですよ。


ネガティブにならないようにしてるんだけど・・・
どうにも悪い予感がしてならないんです。
これでステージ1で、手術終わって。ほっとして、騒いだだけ無駄だったなんて展開があれば良いんですけどね。
それも、時間がたつことでしか安全性を証明出来ないんですよね・・・
5年たって一安心。10年たって一安心。どの道それも難しいのだから。

まだまだ、戦いは続くのです。








誤解を受けるのが怖いのだけれど、僕がツイッターで平然と振舞っているのは
演技でも何でもなく、一つの意識といいますか。
決してショックを受けていないわけではないのです。
ただどうにも暗い意識をずっと持てない体みたいで、ツイッターしてるときは結構素で平然としてるんです。
特に無理してるわけでもないので、本当に自分でも何でなのかよくわかってないのです。
ずっと暗い顔が出来ないくらい明るい人間なのかもしれないです。

同時にネガティブな話をこの場に提供してしまって
申し訳ないと思う反面、流石に誰かに聞いてもらわないと気が狂いそうなので書かせていただいております。
ちなみにたまにポストで見かける読者の声はちゃんと拾える範囲でヲチしてます。
返すのが苦手なので放置してるのだけれど。
たぶんこの人読んでくれてそうだなって人は大体把握してるので、好きに扱ってもらって構いません。