真冬

冬には良いことがない。
もうたぶん、僕は一人で抱え込むことが出来ないから
ここに書く。


突然の知らせだった。
母に、肺がんが見つかった。


ステージは、1と4の境界。
手術をして、お腹を開けて、肺に水が溜まっていればステージ4。


ステージ4というのは、いわばドラマなんかである、余命を宣告される世界。

水が溜まっていなければステージ1。切除完了すれば、それで終わり。



どうしてこう、冬っていうのは嫌なことばかり起こるのか。
一難去ってまた一難?



人に起こることは自分にも起きる。これは僕がずっと心に思っていた一つの鉄則のルール。
自分だけが特別だなんてことは、絶対にありえない。

そしてまた、奇跡も絶対に起きない。

少なくとも自分の今までの人生を顧みると、奇跡が起きてきた人生ではなかった。
だから僕には奇跡は起きない。


よく聞くじゃないですか。どこどこの○○さん、早いのに亡くなられたんですって、なんて。
いつもそういう話は、他人に起きること。身近に起きることもあるかもしれない。
でも自分の身に起きるだなんてことは、なかなか考えられないじゃないですか。


そういう意味では、事故や、難病、早死、自殺なんかの類は
パーセンテージが少ないだけに自分には起きないように思えるのだが。


親が離婚してる家なんてたくさんある。でも自分には起きなかった。
家族は今まで大きな事故に巻き込まれることはなかった。不幸な事故は起きなかった。


いやさ、流石にこのパターンは考えてなかったですよ。
完全に想定外のところから飛んできた感じです。よりにもよって、肺とは。



覚悟をしてるって言えば嘘になります。でも、ステージ1だという希望的観測も抱いていません。
そんな風に最終的に綺麗に終わるような世界が用意されてるなら、そもそも肺がんになんてなってないんだから。



別に涙も出ないし、アニメも見るだろうし、笑いもするだろう。
さっきも家族でちょろっと話して普通に笑い合ってたのだが。


婆ちゃんの時もそうだった。でもときたま、もしかして自分って凄い冷たい人間なんじゃないのかなとか思ってしまう。
流石に今死なれちゃ、悔いが残るな。




でもね、ガンって怖いんですよ。仮にステージ1で、切除できたとして。完治したとするじゃないですか。
でもガンに置ける治ったって表現は、その後の生存していた時間でしか測れないんですよ。
5年生きれば治ったとみなされるわけでさ。


その5年ですら、8割なのですよ。2割死ぬんです。
ステージ4なんて目も当てられない。まず5年以内に死ぬ。

水がたまってた場合、その水は他の場所への転移の要因になる。
つまり水がたまってた場合、体中にガンが転移するということ。


仮に溜まってなかったら?ガンが出来る体に油断もクソもない。
もう完治なんて表現は、たぶん幻想なのだ。

婆ちゃんの時も、そうだった。4年前、腎臓にガンが見つかったが、綺麗に取り払うことはできた。
でも結果として、数年後、肺や脊髄にガンが見つかったのだ。
転移したものなのか、普通にやってきたのかは知らないけれど。


昨日も普通に晩ご飯を食べてたのに。
内定承諾も交わして、さぁさぁ京都を出ていきますよ、ってタイミングでこういうのが来るって、あまりにもひどすぎやしませんかね。


毎回こうなんですよ。受験も就職も、毎度毎度僕が大きな変化を迎える前に、家族がガンで云々がやってくるのです。
何か呪われてるんじゃないのかとすら思う。そんなにどこかで僕は悪いことをしたのかな?って思ってしまう。



僕は親の死に目に会えないのなんて絶対に嫌だ。
でも現実的に、いろいろな未来の展開をパチパチ弾いて計算していくと、あまり良い絵図が浮かんでこない。


だって、これからだろ?人生ってこれからじゃないですか。
やっと子どもも4人とも大人になれて、傾いた家も立ち直って、やっと綺麗な思い描いてた最高の未来が今母親の目の前にあるというのに。
それすら永く見れないものなの?
子育てを終えた人が、孫がオトナになるのを見ちゃいけないのだろうか。



良い行いをしてきたから長生きするだとか、たぶんそんなルールはないんだろう。
だから母親が、すんげー普通に死ぬなんて、当たり前のようにあるんだろうなって思えてしまうだけに辛い。


別に死ぬだなんて思ってねーですよ?
普通にお腹開いたらステージ1、ありえるじゃない。でもそれと同じ確率だけステージ4もありえるということ。
良い面だけ見れるほど、僕は今まで良い目を引き当てたことがない。


でも、老いていく過程でしか、僕は死を受け入れられないです。
死んじゃった婆ちゃんのことですら、僕はまだ受け入れられていないのだから。


ホントどうしたらいいのかわかんないんですよ。
出来ることが何も無いだけに、何をしたらいいのかがわからない。



気付くのが遅すぎた?もっと僕が早くから真面目に生きてれば、こんな目にあわなくて済んだ?
そんなわけでもないじゃないですか。


誰にもこんなこと予見出来ない。出来なかった。
せめて数年は、今後数年は幸せな時間があると思っていた。



それとも、家族がみな健在で、ちゃんと僕も仕事が決まって、それだけで十分に幸せで、それ以上のことを望むのはワガママ?
そんなわけがないって思うんですよね。

幸せなのを感じ取って享受することはいいことですよ?人生哲学に必要な考え方ですよ。
でも幸せって妥協するものでもないじゃないですか。大半のことは、望まなきゃ手に入らないんだから。
今が幸せだと思うことは大事ですよ?でもだからって、それは望むことを辞める理由にはならない。

親が離婚してる人を見たり、親がもっと早死してる人が周りにいるからって
両親が健在、それ即ち幸福で、それ以上のことを望んじゃいけないなんて、そんなわけがない。
僕は今までずっと両親が当たり前にいる存在だった。それでももっともっと長生きして欲しいです。
あと20年、30年長生きして欲しい。いつか僕が子ども生んだらそれを見て欲しいし
出来るなら孫がみんな大人になるまで元気でいて欲しい。
それがもしか、贅沢でワガママな話だっていうのなら、僕はワガママでいい。
自分より不遇な人を挙げて幸せを感じ取るなんて、間違ってる。
ちょっと綺麗に見えるだけで、人を見下してるのと同じのはずです。



僕は今、たぶん外らかみたら、贅沢な生活をしてるし、はたらかみれば僕が原状に満足してないのなんて
ワガママの極みなんだろうと思います。でも僕は僕で、死ぬほど悔しいくらいの思いも抱えているのです。



婆ちゃんだったから、死んだ後も前を向いていられたけど、母親となると、事情が違う。
本当に頭が混乱してわけがわからない。


今母ちゃん57歳だっけ。あと20年は生きてて貰わないと。


嫌ですよ?手術したらステージ4で、余命3ヶ月っすーなんて言われて、僕は何か後ろめたさとともに京都を出て
5月か6月くらいに母ちゃん死んじゃうみたいな。


いやですよ?そんなの陳腐な展開は。
そんな展開、どうケリ付ければ良いのかわからないです。

でももうここまできたら、結果は僕が知らないだけで、出てるんですよねー。


はー。人生うまく回っていかないなぁ。

婆ちゃんの次は母ちゃんか。


老いとともに死んでいけるのは、もしかしたら凄く幸せなことなのかもしれないですね。
上で書いたことと矛盾しちゃうけど、こういうことがあるたびに、僕の幸せのハードルがぐんぐん下がっていくのです。

頼むから、ステージ1で、転移の目もなく、また回復。そうあって欲しい。それならまだ・・・気持ちを保てる。
もうそれしか無いですよ。それ以外の目は、どれも外れです。大外れです。
でも僕じゃどうにも出来ないです。肺一個あげれば助かるっていうなら差し出しますよ・・・



はー。何か意味とかいろいろ考えちゃいますよ。母ちゃん煙草吸うわけでもないのに。煙草辞めろって啓示?