家族

さっきまで家族で飲んでました。


平穏はいつか終わる。それは誰もが理解しているところではあるが、いざ目の前に来ると受け入れがたいものである。
この程度で平穏が終わるといえばアレな話にはなるが
関西にいた長男は九州への転勤が決まり、我が家の今のホットスポットであった甥っ子も同時に関西から消えるということ。

そしてまたスーパー末っ子であった僕様も関東(恐らくだが)で勤務することが決まり。

時がたつに連れて世界は移り変わるということを強く意識するものだ。



ツイッターで僕は家族仲が良いアッピールをしているが
多少現実とは異なっている。

僕は今でも家族に対して微妙に他人行儀に接しているし、本心を晒すこともない。

一時期うちは本当に崩壊寸前だった。
主な原因は僕だったのだが。僕は親が嫌いだったし、兄弟が嫌いだったし。

それでも今は愛おしくてたまらない。
もしかしたらそれは、どこの家庭にもある子ども反抗期に対する家族からの反発であったりするのかもしれない。


何が講じて今の形に落ち着いたのかはよくわからない。
それでも子供たちが結婚した後も、定期的にうちにきて、みんなでお酒を飲んで笑い合える関係が今ある、ということは
貴重なことなんだろうと思う。



親からグレたのは次男、親の教育から逸脱したのは末っ子の僕。

何らかの原因が親にあったことは否めない。言訳をするわけではないが、逸脱する因子がうちの一族にあったことは確かだとは思う。
でも僕と次男の二人で散々家の空気を潰し続けたのも事実で。
僕と次男が常に険悪で目を合わせるたびに喧嘩していたこともあったんだけれども。


あの頃は本当に家を出たくてたまらなかった。
親の言葉が疎ましいし、兄弟の目が邪魔だった。

本当に何が起きるかわからないものですよね。
僕も次男もちゃんと落ち着いたのだ。

本当に僕は家族に関しては何の不満もない。本当に今の家族で良かったと思える。

同時に唯一負い目をあることは、跡継ぎとして誰も育たなかったこと。

これは親の方針であったこともある。跡継ぎとして育てたら、跡継ぎとして生きる重圧と、それ以外の未来を閉ざしてしまうから。
だからうちの親は、跡継ぎとして育てず、そしてそうやって子供が育った。


それにしたって、三人も男がいて誰ひとりとして跡を継がないというのは、何ともこう寂しいというか。
長男はもう社会人として生きているし、次男はまだ感情的だし、僕には能力がない。
親とかを度外視しても、やはり育っていく上で家業に世話になったというのはあるわけで。


就活をしていると、よく「家継げば良いじゃん」と言われた。
数少なく、僕が一言でイラッとしてしまう言葉だった。

そんなに軽いものではないし、簡単にやっていけるものでもない。
ただ自営業としてちゃんと成り立っているというのも外から見た事実で。
そういう風に見られているというのが何とも辛いものだった。

こちらはこちらで、むしろその一手だけは打たぬようにと就活をしていたし
頭の片隅にも家を継ごうなんて手段を思ってもいなかったのだが。


この家業があと十年続くのかはわからない。あと二十年続いていれば、奇跡に近い。
その時にこう、僕らの次の世代、僕ら兄弟の子どもですよね。
その子の中に一人でも、この仕事をやりたいって子がいたら、それはもう出来過ぎた話なのかもしれない。
家を継ぐ選択肢を持たず、かつ家業を終わらせたくないという考えを持つ身としては
今描ける最高の未来絵図が、それなのだ。





長男が子どもを産んでから1年。時たま父親が孫を見ながら、「こいつを見るのもあと100日あるかわからない」と言っている。
それは悲しきかな事実である。年に100日も会いに来るわけがない。数カ月に一度。九州に行けばまたまた機会が減る。
兄が関西にいる今ですら、年に20日会うかどうかなんだから。

これが年に10日になると、10年で100日。

また同時に、それは甥っ子ちゃんだけではない。僕だって同じなのだ。
このまま関東とか遠方で働き続ければ、あと300日親と会うかはわからなくなる。
今まで一年で365日顔を合わせていた親と、年に10日、20日、会えるかはわからなくなるのだ。
長男が家を出て一人で社会人やり始めて10年。恐らく僕は長男と200日は会っていない。150日くらいだろう。



それがひとり立ちであって親離れであるというのなら、あまりにも惜しいものだと思う。
仮に僕が3月末に家を出る時に、そこまでの覚悟を背負えるのかというと、きっとそうではないだろう。
散々顔を合わせてきていた両親と、いざ働き始めればそんな風に疎遠になるっていうのはね。



さらにいえば、父親の兄弟。僕の大好きなお婆ちゃんの子ども三人。
父親以外の兄弟が生涯お婆ちゃんと過ごした時間よりも、たぶん僕がお婆ちゃんと過ごした時間のほうが長いわけでさぁ。



長生きしたからって其の人と親密な関係になるわけでもないですよね。
僕が仮に今結婚して離婚しないとすれば、今の親・兄弟よりもさらに長い時間をその人と過ごすことになるわけでさ。


年月よりも、過ごした時間を考えると、出会いというのは何とも貴重なものだと思いますね。
兄弟よりも多く会話した友人なんて結構いるわけだし。



出来ることなら、いつの日か京都に帰れることをと思いますね。