其七

予備校って良いですよね。
僕は予備校に通ってました。



予備校というのは、法的に学校法人だとかなんだとかになってるのかはよくわからないが
とりあえず学生証っぽい身分証が貰えるのだ。
学割が使えるのかはよくわからないが、学生証っぽいものは宝物だった。
時期的には、デスノートの二部が始まったあたりですね。

僕は普通の人が高校三年の時、予備校の浪人生コース(朝から晩まであるやつ)に通ってました。
今思えば友達を作れば良かったな、とか思ったんだけれど。

ちなみに予備校に入るまでに、こういう非公的な学習場所に行こうと思わなかったのか、というとそうではない。
大検に受かるための学校なんてのも世の中にはあるもんで。
うちの兄貴はそこに通ってた。
僕も一瞬そこに行こうと思ってた(今思うと、これはガチンコ大検ハイスクールルートなんだろう。)
んだけれど、うちの兄貴はそこまで勉強する人ではなかったから。
こんなとこいっても意味ねーよ、っていうのが親父の意見で、というわけでここに行くことはなかった。


まあ高校二年の一年を全く何もせず、僕は普通の人が高校三年の時、一年ぶりに朝どこかに通う生活を始めたのだった。
これがまたキツい。拘束時間は普通の全日制の高校のほうが長い。
それなのにしんどいのだ。何せ今まで僕が知ってるのは45分だか50分だかの一時間制の授業だけ。
予備校は一時間半もあるのだ。座ってるのがしんどい。本当にしんどい。

しかし数学は本当に何言ってるのか全然わからなかった(笑)
当時は「何を言ってるんだろう」って感じで話を聞いてたのだが
あれは数学2Bの講義とか受けてたのだ。三角比もわからない僕が三角関数の講義なんて聞いてもわかるわけがなかった。

英語はまぁ、何か丁寧だったから何となくわかった。いやごめん嘘。たぶんわかっていなかった(笑)
だって単語がわからないんだから。単語帳とか四冊くらいあったよ。
無駄に装備ばかり整えてレベルをあげることを知らない、そんな感じ。




ダラダラ何となく通っていた。自習する習慣なんてこの当時の僕にあるわけがなかった。
僕は自堕落故に高校を落第した男だ。予備校に通うだけですらヒーコラ言ってるのに、自習なんて出来るわけがない。
ただ不安はなかった。それは何故か。



僕はこの頃、自分は馬鹿なことをした、などと反省の言葉を抜かしつつも
実のところ何も反省していなかったからだ。

自分は確かに、悪いことをしてしまった。だがどうだ、予備校に通っている。
人とは違う道だが、最終的に大学に行けばどうということはない。
僕が1年間予備校に行けば大学には受かるだろう。合格という予定調和に向けて、とりあえず動いてるだけ。
「まあなんていうの?確かに人生いろいろあるけど、回り道して行っちゃう感じ?それも良い、みたいな?」
それが17〜18歳当時の僕の思考回路である。

何一つ偽りなく、本気でこう思っていた。
何なら東大でも行ってやろうか?といわんばかりである。
何故こんなアホな考えをするのか。それは単純に、当時の僕は、何かに自発的に挑戦すること及び、挑戦した末の敗北を知らないからである。


わかるだろうか。高校すら行かずに、勉強もせず、あまつさえ親に決して安くはない予備校のお金を出させた挙句にコレである。
僕は自分のことを結構心底クズだと思っている。
今でも大概クズだと思うが、この頃の僕は自覚なきクズという、出来れば見放したいタイプである。
親に何より感謝しているのは、罵詈雑言を飛ばしつつも、何だかんだで長い時間付き合ってくれてたことである。



そんな当時の僕だが、このクズっぷりは留まることを知らず。
最終的に講義にいかなくなったりとかし始める。
一応のこと言っておくと、予備校において自分に不要な講義を切るっていうのは
そこまで的はずれな戦略ではないとは思う。
それがちゃんと、「講師がただの新米で実力不足が手に取るようにわかる」とか「自分の勉強スタイルと明らかに違う」とか
そういう戦略的なものの上に成立する合理的なものであるなら、という前提のもとでだが。
もちろん当時の僕はそのつもりだったのだが、実のところあれはめんどくさかっただけだろう。

講義に出ても、「ふんふん、ナルホディウスですなぁ」とかいいながら
文のところに赤ペンで線を引く作業くらいしかしてなかった。
むしろ当時の僕には、講義に出ることすらおこがましいレベルって感じだろう。


ちなみに参考書とかはめっちゃ持ってました。やり遂げた参考書はまあいくつかあるけど。
いやまあほんと、アレだったね。
よくもまぁこんな、一人で死亡フラグ何本も建てられるわって感じっすね。


7月くらいからは少しだけ心を入れ替えて自習室に通いだした。
何かとりあえず椅子に座って問題を解いてた。
ちょっと問題が解けたらすぐに赤本に手を出しては
「うわー、問題がわりーなー、これは問題がわりーわー。誰も知らねーわーこんな問題ー」とか言ってた。

まあでも、なんでしょ。時間が経つのって早いんですよね。
どんなに心の奥で「俺は受かるっしょーw」とか言いながらも
器が小さいので不安にもなります。
「本当に志望校に受かるの?」って。

でもまあ、現実勉強するのはめんどくさいし。
帰ったらだらだらネットやって、インターネットの掲示板見て。
第一志望のE判定から目を背け、どうでもいいFランのA判定で心を落ち着かせる・・・
模試の見直しなんてするわけない(笑)

予備校に通うだけでもいっぱいいっぱい。それが当時の僕のリアルな生き様。



でも当の本人には合格しか見えてない。
それが選ばれた勝ち組である僕に約束された運命なのだから・・・











まあ、この現役受験・予備校編のオチは皆さんご存知のように、失敗します。ものの見事に落ちます。ええ。



ちなみに今後もこのクズの冒険は続いていくが、様々な経験を経て考え直し、立派な青年になるとかそういうオチは別に用意されてない。
今でも僕は勉強は嫌いだし、しなくていいと思うし、親がお金を出してくれるなら存分に利用すべしと思っている。
ただ当時の僕と今の僕に違いがあるとすると、失敗を視野に入れて動くことが出来るということである。
今も毎日死ぬほどダラダラしてる。クズだなぁと思ってる。
クズというのはクズを脱せないからこそクズなんだなぁ。




この浪人生コースにいた人と僕の絶対的な違い。
それは敗北を知っているのか否か。
一緒に机に座っている人はみんな、必死なのだ。
あの当時は浪人生は結構少なかった時代ではなかろうか。
その世の中、落ちても第一志望を狙いたいから、予備校に来ている人達の中に僕は混ざっていたのだ。
それはひどく場違いなものであったと今は思う。
浪人生は結構な数が受験まで行き着かずに途中でドロップアウトする。
そりゃまぁ、そうでしょうねって思います。


僕は敗北を知らない人間だったから。
それはそれまでの自分が強かったから、ではなく。
ただ挑戦したことがなかったことと、たまたまそれまで運が良かったから。
普通に考えれば高校の落第なんていうのは敗北なわけだが、僕は「やらなかっただけ」と解釈していた。
それはもしかしたら生き方の上では間違いではないのかもしれない。
今のように卑屈に生きるくらいなら、こんな風に堂々と自信を持って生きるほうがいいのかも知れない。

ようするにアホだったんだろうとは思う。
あれからもずっと敗北を意識する人生を送り、すっかり負け犬根性の染み付いた僕だが
これはこれで良いものだと思っている。


敗因があるとしたら、この予備校編前編のスーパー自堕落モードが
予備校に入った後も続いていたことだろうなぁと今は思う。


結局、現役で落ちたことは結果として良かったのか?そうなると今考えてもそれは難しい。
ただここで受かっていたら、たぶん僕は、痛い目を見ても何だかんだでうまくいく、そう思ってそれからも生きていく事だろうと思う。
本当の意味で反省をすることはなかっただろう。


ちんけな体験かもしれないが、僕にとっては立派な苦労といえる時間をこの先にすることになる。
しなくてもいい苦労なんて、たぶんする必要はない。
苦労しないからって、駄目人間にはならないでしょ?そりゃ多少世の中舐めちゃうかもしれないけど。
苦労が報われるのもまた美談なのだから、苦労せずに幸せに生きるのがたぶん、最善手なのではないのか。
苦労は人生のエッセンス程度の役割しかたぶん持っていない。
苦労も努力も報われないことは多々あるんだから。
ただ苦労してる人を見ると応援したくなるし、好きになるのもまた本音です。

今はこう考えている。