一目

このblogも完全に方針がわからなくなってきたので
今日は少しナイーブなことを書いてみようと思う。







祖母が亡くなってから100日ちょっと。
祖母の部屋は僕の部屋のすぐとなりで、今も遺影と共に線香台がおいてあって。

亡くなってから50日ほど?それくらいまでは毎日何度もろうそくと線香を取り替えて。
なにかあるとすぐにあの部屋でぼーっと過ごしていた。



僕が一番行きたかった職場へ行くこと、それは僕の長い間持っていた
一つの大きな願いだったんだけれども、それですら遠く及ばないほどに
僕は内定を取った姿を祖母に見せることが一つの目標だった。

それが間に合わなかったことは、たぶん一生引きずることにはなるとおもう。



何よりも生前、完全に一人で生活することが不可能な状態になった祖母を前にしても
僕はずっと、自分の進路のことは伏せていたんですよね。就活のことは一切話題にしなかったんですよね。
っていうか、最後の方は仮に言っても理解出来てなかったかもしんないけどw



自分がどういう職種を目指していて、将来はこんなことをしてみたいだとか。
それを言う勇気がなかったんですよね。理由は失敗しちゃうと、怖いし恥ずかしいから。それだけ。
っていうか、もし言って失敗したら、祖母の死に際にとんでもないもん渡しちまったなっていじけちゃうので。
成功したら伝える。失敗したら何も言わない。ずっとやってきたことだから、まあ就活もそれでいいやと。
もう祖母の耳に嫌な話は、ひとつ足りとも入れたくなかったから。


でもその臆病な態度は、今も心のなかで引っかかるものであって。
葬儀のお焼香の時、心の奥ですら「絶対に内定取るから」とかいえなかったんですよね。

それくらいに、進路のことには本気でもう耐えられないレベルまで追いやられてました。

ツイ禁してた時期にツイッターやったら、たぶん多くの人を不快にしてしまうだろうなーとか。
だからこう、別に就活に本気だすために禁止してたというよりは
感情の捌け口を潰してただけなんですよね。
たぶんこのやり方はどんどん性格を歪めていくだけだとわかってるんだけど
こうやって内側にガンガンにストレスの負荷をかけるのが
自分の中でモチベーションというか、気力が続いて良いんですよね。
「この状況であえて一人で戦う俺(キリッ」って感じで(核爆)




仮に就職活動失敗したら?って、何度も何度も今年に入ってイメージしてたんだけど
ガチでイメージが出来なかったんですよね。
それは先が読めないから想像が出来ないっていうのじゃなくって。
今までの人生の、高校の留年や、受験の不合格なんかの
苦い思い出を遥かに超えるレベルの恐怖であることが容易に想像つくので、想像することそのものが恐ろしくてたまらなかったんですよね。



祖母を亡くして、就活に失敗するっていう未来は、僕には想像することが不可能な未来だった。
そりゃリアルな道で言えば、就職留年なんだろうけど。
僕もいろいろとあって今の大学になんとか入学できたわけで
ただでさえ友達がみんな1年早く社会人になって遅れを取ってるって状態で
ここからさらに遅れるってことの屈辱感もあり。
たぶんこれが一番リアルな未来で、もしかしたらある意味一番辛い未来だったと思う。


大学院に行くっていうのは、正直ちょっと調べたっちゃ調べたのだが
今いる大学の院になら行けそうといえば行けそう?っていうレベル。
僕は研究なんかとは無縁な人間なので
多分大学院に行っても成果をあげることも出来ず、何よりも就職の逃げで文系の院に逝ったってことや
文系の院に行くってことの就活上のリスクなどなど。いろいろとキツいだろう。

たぶんこれは選ばなかった未来。
ただこれなら、卒業がまた1年遅れたって未来は、回避できる。
それはあまりにも魅力的なものでもある。


じゃあ、絶対に選ばなかった未来はというと、このまま大学を出て、既卒で就職活動をするということ。
これはたぶん、何があっても選べなかっただろうと思う。
それは現状の就活の状況もあるが、何よりも、また17才から3年過ごした
惨めな時間を超える苦痛を味わうことになるっていう、それを選ぶ勇気は、間違っても僕にはないということ。



そして一応やってみるかも知れないってのは
業種を変えて就活をゾッコーするということ。
ただ、おそらく死んだ目をしてしまうので、相当難しいだろう。
おそらくは気力が持たなかったはず。


こう、どれも辛い道ではあるが、別に死ぬわけではない。
どれを選ぼうとも死ぬ未来ではないんだが、大学に入るまでにいろいろとあったので
どうしても僕には、今年就活に失敗してしまうっていう未来は、想像することが不可能なのだ。
上であげたことですらも、想像というよりは可能性を示しただけであって
その未来を選んだ自分の心情だとか、苦労だとか、そういうことはイメージ出来ない。
考えることそのものを脳が拒否してる。



もちろんそれはどの学生も同じ。それはわかってる。
どんな学生も留年したくないし、就職で失敗なんてしたくはないだろうし。


就職留年不可能とか、そういうのは勝手に僕が自分の中で自分に対して定めたルールで。



そんな就職活動に対する憎悪のようなものは結構僕の中で大きい。
それはそのうち書いてみるかもしれない。








まあ最初の話に戻るんだけど
最近、その線香台がかなり疎かになってきてしまっていてw

一応1日2,3回は線香あげたりろうそく変えてるんだけど
死んだ後はもっと何度も取り替えてた気がして。

気がしてってか、明らかに取り替えてたんだがw



これもまあ、死んだあとの普通の流れなのかなーとか思うんだけど。

今でもおばあちゃんが死んじゃったのかーとかふと思うとウルッときてしまうくらいに
全然受け止めきれていないんだけど、その割にこの疎かにされた線香台がちょっと・・・という。
日中気を抜くと普通にろうそくも線香も完全に消失している状態が多くなってきて
かなり気が抜けてんなーってのは思う。(ちなみに四十九日は当然ながら終わってるので、うちの宗派、うちの信仰的には全くの無問題)


おばあちゃんのことで、悔いが唯一あるとすれば、それは就活に関わってくるもので。
それもまたそのうち書こうかなとも思う。



とりあえず人が死んじゃうのは寂しいっていうことですね。
半年ほど家族で介護して、僕も食事とか排泄とかいろいろ手伝っていたんだけど(うんこは基本的におかんがやってた)
なんだろう。苦じゃなかったといえば嘘になる?
肉体労働的・生理的にはたいしたこと無いもんだから別に良いんだけど
それより、一人で生活できていた人が生活できなくなる、つまりは着実に死に向かっていってるっていうのを
感じ取ってしまう精神的な負担がかなり大きかったんじゃないのかな、って思う。


就活さえなければと何度も思っただけど。
もっと自分に余裕のある時期に、こうなってればなーって。


ただいろいろと時間を手繰り寄せると、自分が高校を辞めていなければ、あの時働いていたかも知れないし。
自分が浪人していなければ、あの時働いてたかも知れない。

働くことがどういう事かはまだ知らないけど、もしかしたら京都にいなかったかもしれない。
遠方の地で、祖母は元気かな、とか想いを寄せながら
ある日の早朝に亡くなったって電話が来たかもしれない。


これはいろいろと自分の中でも難しくて。
今年にしたってタイミングは本当にキツいタイミングだった。
よりにもよってここかーってところだったw

つくづく悪い意味で主人公だなと思った。流石に自分の不運を呪ったw


ただ長い長い視野で見ると、この日しかなかったのかも知れないとか。



まだまだ祖母のことには自分の中でもなかなか決着がついていないので
これ以上は書けないか・・・・・


全体的に書きづらいことが多くて、それを意図的に避けて書いたので
妙につながりが悪い文章になっている気がするけど、このまま投下。