無念

日本全国で病気や事故など

あらゆる理由で一日平均2500名の尊い命がなくなっている・・・・・

と言われ
自分が死ぬと思うか?
「まぁ大丈夫だろ」「まぁ自分じゃないだろう」
健康にめぐまれている人ならきっとそう思うはずだ
自分の飛行機が落ちると思うか?
歩道を歩いていたら居眠りトラックがつっこんで来ると思うか?
家が放火されると思うか?
通り魔にあうと思うか?
肺にキノコが生えると思うか?
不幸ばかりじゃない 幸福もそうだ
宝くじが当たると思うか?
森で3億円拾うと思うか?
自分にとてつもない才能があると思うか?
それらは単に運のよしあしではなく
この世をつかさどる何かによって選ばれたもの
そう「特別な人間」だ
そんな奴はめったにいない
ほとんどの人間は超極端な幸不幸にあうことなく一生を終える・・・「普通の人間」



古谷実 ヒミズより




一体何回読み返したかわからないが、僕の人生に相当大きな影響を及ぼしている古谷実の漫画に上記のセリフがある。




思うに、人は本当に他人には無頓着なものだと思う。


僕はもうすぐ30歳になるのだが、きっと得てして、僕がある種、他の人と比べて変わった人生だったな、と思うものであっても
確かに要所要所、高校を辞めたりとか、付き合って半年でずっと遠距離で住む見込のないまま結婚したりとか
そういう特殊な経験こそあるが、きっと30にもなる頃には、誰にだってそうした特殊な人生の断片的なものは
いくつかあるのだと思う。

それが幸せだったり不幸だったりかはわからないけれども。

結果僕の今の人生は、酷く普通なものになった。

普通に分譲マンションを賃貸して、通勤に30分くらいかかっていて、結婚して。


正直、変わったものも何もない。有り難いほどに普通の人生を今歩んでいる。


僕が10代の頃、10年前、高校を辞めて、何もかもが嫌だった時に見た夢は

まさに今の僕だと思う。


結婚して、安定した生活で、そしてそれでいて、何という不安もなく、とりとめもない日常を。

ようやく僕はたどり着いたんだと思う。


普通の人と同じラインに。


正直、自分は普通です、っていうと、少しばかり嫌味が混じるような現状でもある。


そしてまた思うのだ。ある程度、自分の人生は、ありがたくもあり、また悲しくも、固まってしまったのだということに。


きっと僕は、もうサッカー選手になることもなければ、芸能人になることもない。
年商10億稼ぐ社長になることもなければ、有名な芸術家になることもないのだろう。
フェラーリランボルギーニに乗ることもなければ、妻にハリーウィンストンのアクセサリーを買うこともない。
弁護士にもならないし医者にもならない。


これから僕に訪れるのは、きっと世間離れした幸せではなくって、普通に子どもを育てて
受験とかに一喜一憂するような、そんな有り触れた平凡な未来なんだろう。


というよりも、これから僕は、そうした平凡な未来をおい続けて、そしてそれを死守していかないといけないのだ。




母が死んでから、毎日思う。
人生は有限だと。



自分に限って、まさかそんな、は僕の人生はない。


ある日突然隕石が降ってくることはないだろう、だけれども、トラックが突っ込んでくるかもしれない。
東日本大震災からこの国が学んだのは、「まさかそんな」が起こり得るという現実が凄まじいショックだったのではないのだろうか。



例えば6年前、原発メルトダウンして福島に立ち入れなくなるんだよ、といったら
100人中97人くらいは笑い飛ばしたことだろうと思う。


そんなありえないことが、ありえないわけではないということを学んだということが前進していくことなんだと思う。


僕は守り続けていきたい。今の日々を。