其四

昔の話をしてみます。


僕が昔河原とか公園しか行くとこが無かったから、今でもそういうとこが好きだみたいなことは前に書いたことがあると思うんだけど。


逆に言うと苦手なところもあるんですね。
苦手な所ってのが、図書館。


これは先の理由に通じるところがあるんだけど。


留年した後、実は1年だけ学校に籍が残ってたんですよね。
高校2年になれなかったんだけど、一応その後1年間は、僕は高校1年として学校に籍が残っていた。
それは親の最後に残したカードだったんですね。
僕は行くつもりがなかった。でも、最後の一手として、戻りたいと思ったときに戻れるようにと。


僕は留年後に学校に行くつもりなんてさらさらなかったんだけど
当然ながら、1日家にダラダラいることを親は許さなくって。
大検とかまあそういうのは一応視野に入れる必要があったから
僕は毎日通わされていたんですよね。(通わされていたって表現はどうかと思うがw)

学校の図書室に。

学校の生徒だから、図書室に行くのは自由。
だから毎日学校の図書室に行って自主的に勉強しろ、というのが、親の僕に課したルール。


これは本当に辛かった。

授業に出ないのに、学校にいく。卒業する気がないのに学校に行くのだ。
だって僕は学校の授業に出ないのに、学校に毎日行くことになるのだから。
実際は投稿時間を少しずらして、9時10分くらいに学校に付く感じだった。


一番キツかったのは、図書室で授業が行われるという変則スタイルの授業の日w
ふと図書室に向かうと、かつての面々が図書室で何か授業とかやってる。
僕は何か、それを扉を開ける前に目撃して「うわぁあああ」とかなってた。


だんだんこのあたりから僕の精神は崩れ始めて、確実に不健全な状態に移行していった。


すでに完全に過去のことなので甘ったれたことを言ってみると、コレは本当にキツかった。
いっそ死んだ方がマシなんじゃないのかとすら思えた。
昼休みは生徒たちが図書室に来るので、昼休みちょい前に学校を出て、20分ほど歩いたところにある
団地みたいなところの影でジャンプ読みながらお弁当を食べて。
昼休み終了後30分くらいに帰ってきて。


実際この時勉強してたのかっていうと、全然そんなことはなかったように思う。
ただ親から指示された義務を履行するのみの存在。
それも形でけで。ただ学校に行って、数時間ぼーっとして、誰にも目撃されること無く学校から去る。
放課後が近づくと保健室に行って、今あーなんだ、こーなんだ、みたいな学校のかかりつけの精神科の先生みたいな人とおしゃべりをする。



まあ実際これも長くは続かなかったのだけれど。
この生活を数カ月過ごした後、完全に根をあげて、もう他の図書館でやらせてくれと親に泣きついて
僕は図書館に行ってる振りをして町を自転車で徘徊する時間がスタートするのだった。テヘ
図書室に登校する不登校児、卒業しない在校生。

この頃の妙な存在が僕のアイデンティティーであって、僕を徹底的に歪めていったはじまりの生活。
この後に経験する受験戦争も辛かったのだが
それより何より、今もこの図書室に通っていた時間は僕の中でも完全にトラウマになっている。


この頃の僕は親のこの指示に対して、大きな異議を心の奥に持っていた。
こんなことをしていても意味はないと思ってはいたのだが。
今までに投じてきた学費や、子どもの未来を思えば、復帰して欲しいと思うのは当然だとも今は思う。
意図していたのかは知らないが、僕は確かにここから大きく後悔することになっていくし
どんどん卑屈な存在にもなっていく。


1年間籍を残していたことは、この後また思いもよらない経験をすることにもなるのだが・・・






こんなblog見てるんだから、ちょっとは僕に興味あるんでしょ?
ならこういうのも、イイよね?


このblogを読んだら、「京大卒財務省の人のblog読んでる」って書いていいんだよ?な?
マジで誰が見てるかわかんないのって、結構怖いんだぜ?